十二月始めのある日、珍しくよく晴れて、そして風のちっともない午前に、私は病床から這い出して縁側で日向ぼっこをしていた。都会では滅多に見られぬ強烈な日光がじかに顔に照りつけるのが少し痛いほどであった。そこに干してある蒲団から・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・桂三郎は縁側の手摺にもたれながら言った。淡路がまるで盆石のように真面に眺められた。裾の方にある人家の群れも仄かに眺められた。平静な水のうえには、帆影が夢のように動いていた。モーターがひっきりなし明石の方へ漕いでいった。「あれが漁場漁場へ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・翌朝出入の鳶の者や、大工の棟梁、警察署からの出張員が来て、父が居間の縁側づたいに土足の跡を検査して行くと、丁度冬の最中、庭一面の霜柱を踏み砕いた足痕で、盗賊は古井戸の後の黒板塀から邸内に忍入ったものと判明した。古井戸の前には見るから汚らしい・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ へやは第一の廊下を右へ折れて、そこの縁側から庭下駄をはいて、二足三足たたきの上を渡らなければはいれない代わりにどことも続いていないところが、まるで一軒立ちの観を与えた。天井の低いのや柱の細いのが、さも茶がかった空気を作るとともに、いか・・・ 夏目漱石 「手紙」
夜半にふと眼をさますと縁側の処でガサガサガタと音がするから、飼犬のブチが眠られないで箱の中で騒いで居るのであろうと思うて見たが、どうもそうでない。音の工合が犬ばかりでもないようだ。きっと曲者が忍びこんだのに違いない。犬に吠えられないよ・・・ 正岡子規 「権助の恋」
・・・そしてしばらく口惜しさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊れた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側から入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっき・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・いくら拭いても、砂が入って来て艶の出ないという白っぽい、かさっとした縁側の日向で透きとおる日光を浴びているうちに陽子は、暫らくでもいい、自分もこのような自然の裡で暮したいと思うようになった。オゾーンに充ちた、松樹脂の匂う冬の日向は、東京での・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 縁側に出て顔を洗いながら、今朝急いで課長に出すはずの書類のあることを思い出す。しかし課長の出るのは八時三十分頃だから、八時までに役所へ行けば好いと思う。 そして頗る愉快げな、晴々とした顔をして、陰気な灰色の空を眺めている。木村を知・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・ 忍藻がうなずいて礼をしたので母もそれから座を立って縁側伝いに奥の一間へようよう行ッた。跡に忍藻はただ一人起ッて行く母の後影を眺めていたが、しばらくして、こらえこらえた溜息の堰が一度に切れた。 話の間だがちょッとここで忍藻の性質や身・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・灸はまた縁側に立って暗い外を眺めていた。飛脚の提灯の火が街の方から帰って来た。びしょ濡れになった犬が首を垂れて、影のように献燈の下を通っていった。 宿の者らの晩餐は遅かった。灸は御飯を食ぺてしまうともう眠くなって来た。彼は姉の膝の上へ頭・・・ 横光利一 「赤い着物」
出典:青空文庫