・・・酒のお酌や飯の給仕に出るのがその綾子さんで、どうも様子が可怪しいと思ってるてえと、やがてのこと阿母さんの口から縁談の話が出た。けど秋山少尉は考えておきますと、然いうだけで、何遍話をしても諾といわない。 そこで阿母さんも不思議に思って、娘・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・道太はあの時病躯をわざわざそのために運んできて、その翌日あの大地震があったのだが、纏めていった姪の縁談が、双方所思ちがいでごたごたしていて、その中へ入る日になると、物質的にもずいぶん重い責任を背負わされることになるわけであった。それを解決し・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・母親はその縁談をあきらめているのではなかった。警察から「おたずね者」のシャカイシュギになっている倅は、いわば不具者で、それこそ分相応というものであった。ところが、同じ荷馬車稼業をしている勘さんの娘というのは、ちかごろ女中奉公さきからもどって・・・ 徳永直 「白い道」
・・・其家の財産は太十の縁談を容易に成就させたのであった。二 太十が四十二の秋である。彼は遠い村の姻戚へ「マチ呼バレ」といって招かれて行った。二日目の日が暮れてから帰って来た。隣村の茶店まで来た時そこには大勢が立ち塞って居るのを見・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・として一種の符牒のように通用しているのは、実をいうと、彼の縁談に関する件であった。卒業の少し前から話が続いているので、自分たちだけには単なる「あのこと」でいっさいの経過が明らかに頭に浮かむせいか、べつだん改まって相手の名前などは口へ出さない・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後である。 餌壺にはまだ粟が八分通り這入っている。しかし殻もだいぶ混っていた。水入には粟の殻が一面に浮いて、苛く濁っていた。易えてやらなければならない。また大きな手を籠の中へ入れた。・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・老夫婦が金貸しか何かそういう種類の職業で鍛えた頭で割り出し、目下千鶴子にすすめている縁談が、彼女にとって気乗りのしないのは無理なく思えた。然し、その話のみならず、全体として結婚しようか、しまいか、大局に於ての決心がつかない苦しみの方が大きい・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
・・・のむのはあんまり心ない事だとも思って居たので余計のびのびになってしまった。 そうして居るうちにまた「さき」の縁談が持ちあがって当分は足止めを喰ってしまった。 始め、さきの父親の所から太い太い字で書いた手紙をよこした。 間が悪いほ・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
・・・ 私はそれを聞いて、「安国寺さんを縁談の使者に立てたとすると、F君はお大名だな」と云った。無遠慮な Egoist たるF君と、学徳があって世情に疎く、赤子の心を持っている安国寺さんとの間でなくては、そう云うことは成り立たぬと思ったのであ・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・識らぬ少女と見合いをして縁談を取りきめようなどということは自分にも不可能であったから、自分と同じ欠陥があって、しかも背の低い仲平がために、それが不可能であることは知れている。仲平のよめは早くから気心を識り合った娘の中から選び出すほかない。翁・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫