・・・ ――やがてだわね、大きな樹の下の、畷から入口の、牛小屋だが、厩だかで、がたんがたん、騒しい音がしました。すっと立って若い人が、その方へ行きましたっけ。もう返った時は、ひっそり。苧殻の燃さし、藁の人形を揃えて、くべて、逆縁ながらと、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・…… 湖のなぐれに道を廻ると、松山へ続く畷らしいのは、ほかほかと土が白い。草のもみじを、嫁菜のおくれ咲が彩って、枯蘆に陽が透通る。……その中を、飛交うのは、琅ろうかんのような螽であった。 一つ、別に、この畷を挟んで、大なる潟が湧いた・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 畷道少しばかり、菜種の畦を入った処に、志す庵が見えました。侘しい一軒家の平屋ですが、門のかかりに何となく、むかしの状を偲ばせます、萱葺の屋根ではありません。 伸上る背戸に、柳が霞んで、ここにも細流に山吹の影の映るのが、絵に描いた蛍・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・饂飩酒場の女房が、いいえ、沼には牛鬼が居るとも、大蛇が出るとも、そんな風説は近頃では聞きませんが、いやな事は、このさきの街道――畷の中にあった、というんだよ。寺の前を通る道は、古い水戸街道なんだそうだね。」「はあ、そうでなす。」「ぬ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・……畷は荒れて、洪水に松の並木も倒れた。ただ畔のような街道端まで、福井の車夫は、笠を手にして見送りつつ、われさえ指す方を知らぬ状ながら、式ばかり日にやけた黒い手を挙げて、白雲の前途を指した。 秋のはじめの、空は晴れつつ、熱い雲のみ往来し・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・ 御存じの通り、稲塚、稲田、粟黍の実る時は、平家の大軍を走らした水鳥ほどの羽音を立てて、畷行き、畔行くものを驚かす、夥多しい群団をなす。鳴子も引板も、半ば――これがための備だと思う。むかしのもの語にも、年月の経る間には、おなじ背戸に、孫も彦・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 大仁の町を過ぎて、三福、田京、守木、宗光寺畷、南条――といえば北条の話が出た。……四日町を抜けて、それから小四郎の江間、長塚を横ぎって、口野、すなわち海岸へ出るのが順路であった。…… うの花にはまだ早い、山田小田の紫雲英、残の菜の・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・かそうなが、青白い建ものの、門の前は、枯葉半ば、色づいた桜の木が七八株、一列に植えたのを境に、もう温泉の町も場末のはずれで、道が一坂小だかくなって、三方は見通しの原で、東に一帯の薬師山の下が、幅の広い畷になる。桂谷と言うのへ通ずる街道である・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・田と田との間に、堤のように高く築き上げてある、長い長い畷道を、汗を拭きながら挽いて行く定吉に「暑かろうなあ」と云えば「なあに、寝ていたって、暑いのは同じ事でさあ」と云う。一本一本の榛の木から起る蝉の声に、空気の全体が微かに顫えているようであ・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
出典:青空文庫