・・・新裁下しのセルの単衣に大巾縮緬の兵児帯をグルグル巻きつけたこの頃のYの服装は玄関番の書生としては分に過ぎていた。奥さんから貰ったと自慢そうに見せた繍いつぶしの紙入も書生にくれる品じゃない。疑えば疑われる事もまるきりないじゃなかったが、あのモ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・今日は洗い髪の櫛巻で、節米の鼠縞の着物に、唐繻子と更紗縮緬の昼夜帯、羽織が藍納戸の薩摩筋のお召という飾し込みで、宿の女中が菎蒻島あたりと見たのも無理ではない。「馬鹿に今日は美しいんだね」と金之助はジロジロ女の身装を見やりながら、「それに・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ジュウと音を立てて暗くなって来た、私はその音に不図何心なく眼が覚めて、一寸寝返りをして横を見ると、呀と吃驚した、自分の直ぐ枕許に、痩躯な膝を台洋燈の傍に出して、黙って座ってる女が居る、鼠地の縞物のお召縮緬の着物の色合摸様まで歴々と見えるのだ・・・ 小山内薫 「女の膝」
・・・ と挨拶した婆さんに抱いていた子供を預けると、お君は一張羅の小浜縮緬の羽織も脱がず、ぱたぱたとそこらじゅうはたきをかけはじめた。 三日経つと家の中は見違えるほど綺麗になった。婆さんは、じつは田舎の息子がと自分から口実を作って暇をとっ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・床の横の押入から、赤い縮緬の帯上げのようなものが少しばかり食みだしている。ちょっと引っ張ってみるとすうと出る。どこまで出るかと続けて引っ張るとすらすらとすっかり出る。 自分はそれをいくつにも畳んでみたり、手の甲へ巻きつけたりしていじくる・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・胡麻粒ほどの桜の花弁を一ぱいに散らした縮緬の着物を着ていた。私は祖母に抱かれ、香料のさわやかな匂いに酔いながら、上空の烏の喧嘩を眺めていた。祖母は、あなや、と叫んで私を畳のうえに投げ飛ばした。ころげ落ちながら私は祖母の顔を見つめていた。祖母・・・ 太宰治 「玩具」
・・・と申しますのは、私の婆様は、それはそれは粋なお方で、ついに一度も縮緬の縫紋の御羽織をお離しになったことがございませんでした。御師匠をお部屋へお呼びなされて富本のお稽古をお始めになられたのも、よほど昔からのことでございましたでしょう。私なぞも・・・ 太宰治 「葉」
・・・ 今日もそこに来て耳をてたが、電車の来たような気勢もないので、同じ歩調ですたすたと歩いていったが、高い線路に突き当たって曲がる角で、ふと栗梅の縮緬の羽織をぞろりと着た恰好の好い庇髪の女の後ろ姿を見た。鶯色のリボン、繻珍の鼻緒、おろし立て・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・これを過ぐれば左に鳰の海蒼くして漣水色縮緬を延べたらんごとく、遠山模糊として水の果ても見えず。左に近く大津の町つらなりて、三井寺木立に見えかくれす。唐崎はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田も石山も粟津もすべて判らず。九つの歳父母に・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・生れて間もない私が竜門の鯉を染め出した縮緬の初着につつまれ、まだ若々しい母の腕に抱かれて山王の祠の石段を登っているところがあるかと思うと、馬丁に手を引かれて名古屋の大須観音の広庭で玩具を買っている場面もある。淋しい田舎の古い家の台所の板間で・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
出典:青空文庫