講堂で、罹災民慰問会の開かれる日の午後。一年の丙組の教室をはいると、もう上原君と岩佐君とが、部屋のまん中へ机をすえて、何かせっせと書いていた。うつむいた上原君の顔が、窓からさす日の光で赤く見える。入口に近い机の上では、七条・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・大阪の妾だった京都は、罹災してみすぼらしく、薄汚なくなった旦那の大阪と別れてしまうと、かえってますます美しく、はなやかになり、おまけに生き生きと若返った。古障子の破れ穴のように無気力だった京都は、新しく障子紙を貼り替えたのだ。かつての旦那だ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ 武田さんはやがて罹災した。避難先は新聞社にきいてもわからなかった。例によって行方をくらましたなという感じだった。「あの人は大丈夫だ。罹災でへこたれるような人じゃない。不死身だ」 私は再びそう言った。 四月一日の朝刊を見ると・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ ある罹災者の話である。名前はかりに他三郎として置こう。そして私の好みに従って、他アやんと呼ぶことにする。 他アやんは大阪の南で喫茶店をひらいている。この南というのは、大阪の人がよく「南へ行く」と言っているその南のことであり、私もま・・・ 織田作之助 「起ち上る大阪」
・・・ 摂政宮殿下には災害について非常に御心痛あそばされ、当日ただちに内田臨時首相をめし、政府が全力をつくして罹災者の救護につとめるようにおおせつけになりました。二日の午後三時に政府は臨時震災救護事務局というものを組織し、さしあたり九百五十万・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・対米英戦がはじまって、だんだん空襲がはげしくなって来てからも、私どもには足手まといの子供は無し、故郷へ疎開などする気も起らず、まあこの家が焼ける迄は、と思って、この商売一つにかじりついて来て、どうやら罹災もせず終戦になりましたのでほっとして・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 雑誌社は罹災し、その上、社の重役の間に資本の事でごたごたが起ったとやらで、社は解散になり、夫はたちまち失業者という事になりましたが、しかし、永年雑誌社に勤めて、その方面で知合いのお方たちがたくさんございますので、そのうちの有力らしいお・・・ 太宰治 「おさん」
・・・ しかし私は、いま、ここで柳多留の解説を試みようとしているのではない。実は、こないだ或る無筆の親に逢い、こんな川柳などを、ふっと思い出したというだけの事なのである。 罹災したおかたには皆おぼえがある筈だが、罹災をすると、へんに郵便局・・・ 太宰治 「親という二字」
・・・ それが、二度も罹災して、行くところが無くなり、ヨロシクタノムと電報を発し、のこのこ生家に乗り込んだ。 そうして間もなく戦いが終り、私は和服の着流しで故郷の野原を、五歳の女児を連れて歩きまわったりなど出来るようになった。 まこと・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ 私は昨年罹災して、この津軽の生家に避難して来て、ほとんど毎日、神妙らしく奥の部屋に閉じこもり、時たまこの地方の何々文化会とか、何々同志会とかいうところから講演しに来い、または、座談会に出席せよなどと言われる事があっても、「他にもっと適・・・ 太宰治 「親友交歓」
出典:青空文庫