・・・私たちは東京で罹災してそれから甲府へ避難して、その甲府でまた丸焼けになって、それでも戦争はまだまだ続くというし、どうせ死ぬのならば、故郷で死んだほうがめんどうが無くてよいと思い、私は妻と五歳の女の子と二歳の男の子を連れて甲府を出発し、その日・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・やがて、日本は無条件降伏という事になり、私も故郷にかえり、Aの郵便局に勤めましたが、こないだ青森へ行ったついでに、青森の本屋をのぞき、あなたの作品を捜して、そうしてあなたも罹災して生れた土地の金木町に来ているという事を、あなたの作品に依って・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・そんなに、二度も罹災する前に、もっと早く故郷へ行っておればよかったのにと仰言るお方もあるかも知れないが、私は、どうも、二十代に於いて肉親たちのつらよごしの行為をさまざまして来たので、いまさら図々しく長兄の厄介になりに行けない状態であったので・・・ 太宰治 「庭」
・・・東京で罹災したと言って、何の前触れも無く、にやにや笑ってこの家へやって来て、よくもまあ恥かしくもなく、のこのこ帰って来られたものだとおれは呆れてお前たちには口もききたくない気持だったが、しかし、お前もいまはおれの娘ではないんだし、島田という・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ など叫喚して手がつけられず、私なども、雑誌の小説が全文削除になったり、長篇の出版が不許可になったり、情報局の注意人物なのだそうで、本屋からの注文がぱったり無くなり、そのうちに二度も罹災して、いやもう、ひどいめにばかり遭いましたが、しかし、・・・ 太宰治 「返事」
・・・僕は二度も罹災して、とうとう、故郷の津軽の家の居候という事になり、毎日、浮かぬ気持で暮している。君は未だに帰還した様子も無い。帰還したら、きっと僕のところに、その知らせの手紙が君から来るだろうと思って待っているのだが、なんの音沙汰も無い。君・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・愚図々々と都会生活の安逸にひたっていたのが失敗の基である、その点やはりあなたがたにも罪はある、それにまた、罹災した人たちはよく、焼け出されの丸はだかだの、着のみ着のままだのと言うけれども、あれはまことに聞きぐるしい。同情の押売りのようにさえ・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・ しかしまた、罹災者の側に云わせれば、また次のような申し分がある。「それほど分かっている事なら、何故津浪の前に間に合うように警告を与えてくれないのか。正確な時日に予報出来ないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう云ってく・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・ まさにこの稿を書きおわらんとしているきょう四月五日の夕刊を見るとこの日午前十時十六分函館西部から発火して七十一戸二十九棟を焼き、その際消防手一名焼死数名負傷、罹災者四百名中先日の大火で焼け出され避難中の再罹災者七十名であると報ぜられて・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ 二十七日 罹災民に送ろうと思う着物縫いにかかる。殆ど一日。処々へ見舞。 甲府の渡辺貴代子氏来罹災民への衣類寄附の為、三宅やす子、奥むめおその他と集ってしようと云う。主旨賛成、但、彼女の粗野なべらんめえ口調にはほとほと参って・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
出典:青空文庫