・・・中洲の大将の話では、子供心にも忘れないのは、その頃盛りだった房さんが、神田祭の晩肌守りに「野路の村雨」のゆかたで喉をきかせた時だったと云うが、この頃はめっきり老いこんで、すきな歌沢もめったに謡わなくなったし、一頃凝った鶯もいつの間にか飼わな・・・ 芥川竜之介 「老年」
・・・日向に颯と村雨が掛った、薄の葉摺れの音を立てて。――げに北国の冬空や。 二人は、ちょっとその軒下へ入ったが、「すぐ晴れますわ、狐の嫁入よ。」 という、斜に見える市場の裏羽目に添って、紅蓼と、露草の枯れがれに咲いて残ったのが、どち・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ましてやその他の月卿雲客、上臈貴嬪らは肥満の松風村雨や、痩身の夷大黒や、渋紙面のベニスの商人や、顔を赤く彩ったドミノの道化役者や、七福神や六歌仙や、神主や坊主や赤ゲットや、思い思いの異装に趣向を凝らして開闢以来の大有頂天を極めた。 この・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・東の方は村雨すと覚しく、灰色の雲の中に隠見する岬頭いくつ模糊として墨絵に似たり。それに引きかえて西の空麗しく晴れて白砂青松に日の光鮮やかなる、これは水彩画にも譬うべし。雨と晴れとの中にありて雲と共に東へ/\と行くなれば、ふるかと思えば晴れ晴・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫