・・・ 何と言っても幼い両人は、今罪の神に翻弄せられつつあるのであれど、野菊の様な人だと云った詞についで、その野菊を僕はだい好きだと云った時すら、僕は既に胸に動悸を起した位で、直ぐにそれ以上を言い出すほどに、まだまだずうずうしくはなっていない・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・我と底抜けの生活から意味もなく翻弄されて、悲観煩悶なぞと言っている自分の憫れな姿も、省られた。 閉店同様のありさまで、惣治は青く窶れきった顔をしていた。そしてさっそくその品物を見せるため二階へ案内した。 周文、崋山、蕭伯、直入、木庵・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・その時刻の激浪に形骸の翻弄を委ねたまま、K君の魂は月へ月へ、飛翔し去ったのであります。 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・踊り場でピストルをひねくり回し、それを取り上げられて後にまた第二のピストルをかくしに探るところなどは巧みに観客を掌上に翻弄しているが、ここにも見方によればかなりに忠実な真実の描写があり解剖がありデモンストラチオンがある。やはり一つのおもしろ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・小さな動物に大きな人間が翻弄されたというような気もした。ここでもし徹底した科学的の方法で明白な論理を追跡して行きさえしたら、直ちにこのなんでもないミステリーは解けたであったろうが、少しはばかばかしくもなってきたので、この目前の、明らかに物理・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・芭蕉は連句において宇宙を網羅し古今を翻弄せんとしたるにも似ず、俳句にはきわめて卑怯なりしなり。 蕪村の理想を尚ぶはその句を見て知るべしといえども、彼がかつて召波に教えたりという彼の自記はよく蕪村を写し出だせるを見る。曰く其角を尋・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・内心あやしいと感じながら、その生活者としての本能の声に半ば耳をかしつつ、旧勢力に自分の運命を少くとも或る期間翻弄されるのである。 世論調査の結果が、かならずしも自然にあるままの社会各層の民衆の意見をあらわすものでないという真実を、世・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・不安への批判の精神を否定した出発は、窮局に於て人間精神が不安に翻弄される結果となり、不安を自己目的として不安する状態を、精神の高邁とするようなポーズをも生じた。人間のモラルを現実とのとりくみの間にうち立ててゆくことが目指されずに、観念の中で・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 和歌の浦の暴風のなかでそのような言葉を嫂からきいて、二郎は、自分がこの時始めて女というものをまだ研究していないことを知ったと感じ、彼女から翻弄されつつあるような心持がしながら、それを不愉快に感じない自分を自覚している。二郎の人間心理の・・・ 宮本百合子 「漱石の「行人」について」
・・・は理性的な方法を知らなかったために、どんなに善意を翻弄されたかということから私どもの学ぶべき点を書いた。一九四六年極端な帝国主義日本を武装解除し、民主化しようとする混乱と多忙とが始った。文化の面では文学の新運動ばかりでな・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫