・・・確に老けた。朝に晩に逢う人は、あたかも住慣れた町を眺めるように、近過ぎて反って何の新しい感想も起らないが、稀に面を合せた友達を見ると、実に、驚くほど変っている。高瀬という友達の言草ではないが、「人間に二通りある――一方の人はじりじり年をとる・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ほのぐらい電燈の下の青扇の顔は、おやと思ったほど老けて見えた。「もうおやすみですか。」「え。いいえ。かまいません。一日いっぱい寝ているのです。ほんとうに。こうして寝ているといちばん金がかからないものですから。」そんなことを言い言い、・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・急に老けた口調でそんな事を呟き、顔を伏せた。「このごろ、ろくすっぽ髪も結わないのよ。」「あの人と、わかれること、出来ないか。僕は、なんでもする。どんな苦しい事でも、こらえる。」 てるは、答えなかった。「いいんだ、いいんだ。」美濃・・・ 太宰治 「古典風」
・・・いったいに、老けて見えるほうでした。痩せて小柄で色が浅黒く、きりっとした顔立ちでしたが、無口で、あまり笑わず、地味で淋しそうな感じのするひとでした。「こちら、音楽家でしょう?」 僕の焼酎を飲む手つきを、ちらと見て、おかみはそう一こと・・・ 太宰治 「女類」
・・・このごろ、急に老けた顔つきになりました。もうきっと、おじいさんになってしまったのでしょうね。四、サビガリ君は、白衣の兵隊さんにお辞儀をなさいますか? あたしは、いつも『今度こそお辞儀をしましょう。』と決心しながら、どうしても、できません・・・ 太宰治 「俗天使」
・・・この写真は、甲府の武田神社で家内の弟が写してくれたものですが、さすがにもう、老けた顔になっていますね。ちょうど三十歳だったと思います。けれども、この写真でみると、四十歳以上のおやじみたいですね。人並に苦労したのでしょう。ポーズも何も無く、た・・・ 太宰治 「小さいアルバム」
・・・けれども、私の感じたところでは、失礼ながら、のんきそうには見えず、柏木の叔父さんと同じくらいのお年の筈なのに、どうしても四十過ぎの、いや、五十ちかくのお人の感じで、以前も、老けたお顔のおかたでありましたが、でも、この四、五年お逢いせずにいる・・・ 太宰治 「千代女」
・・・妻と子のために、また多少は、俗世間への見栄のために、何もわからぬながら、ただ懸命に書いて、お金をもらって、いつとは無しに老けてしまった。笠井さんは、行い正しい紳士である、と作家仲間が、決定していた。事実、笠井さんは、良い夫、良い父である。生・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・室内の鈍い光線も八つ手の葉に遮ぎられて、高須の顔は、三日月の光を受けたくらいに、幽かに輪廓が分明して、眼の下や、両頬に、真黒い陰影がわだかまり、げっそり痩せて、おそろしく老けて見えて、数枝も、話ながら、時おり、ちらと高須の顔を横目で見ては、・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・もし事情が許せば、静かなこの町で隠逸な余生を楽しむ場合、陽気でも陰気でもなく、意気でも野暮でもなく、なおまた、若くもなく老けてもいない、そしてばかでも高慢でもない代りに、そう悧巧でも愚図でもないような彼女と同棲しうるときの、寂しい幸福を想像・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫