・・・ こんな理屈ッぽい考えを浮べながら筆を走らせていると、どこか高いところから、「自分が耽溺しているからだ」と、呼号するものがあるようだ。またどこか深いところから、「耽溺が生命だ」と、呻吟する声がある。 いずれにしても、僕の耽溺・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・緑雨の耽溺方面の消息は余り知らぬから、あるいはその頃から案外コソコソ遊んでいたかも知れないが、左に右く表面は頗る真面目で、目に立つような遊びは一切慎しみ、若い人たちのタワイもない遊びぶりを鼻頭で冷笑っていた。或る楼へ遊びに行ったら、正太夫と・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・であるから『書生気質』や『妹と背鏡』を見て、文学士などというものは小説が下手なものだと思ったばかりであるが、親だとか伯父だとかが私が小説に耽溺するのを頻りに喧ましくいって「下らぬ戯作などを読む馬鹿があるか」と叱られるたんびには坪内君を引合に・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・ 肉体的耽溺を二人して避けるというようなことも、このより高きものによって慎しみ深くあろうとする努力である。道徳的、霊魂的向上はこうして恋愛のテーマとなってくる。二人が共同の使命を持ち、それを神聖視しつつ、二人の恋愛をこれにあざない合わせ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至七割は舞台で演・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・迷いもすればまた火のように強烈に燃え上がることもある。耽溺の欲望とともに努力の欲望もある。この内面の豊富な光景を深く理解した人の見方が、彼らの見方よりもいかに多くの高い価値を持っているか、それを血によって感じてもらいたいのである。彼らは多く・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫