・・・こんな事を考えながらベコニアの花をしみじみ見つめていると、薄弱な自分の肉眼の力ですら、花弁の細胞の一つ一つから出る生命の輝きを認めるような気もする。 入院の翌日A君が菜の花を一束持って来てくれた。適当な花瓶がなかったからしばらく金盥へ入・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・ 人間の肉眼が細かいものを判別しうる範囲はおおよそどれくらいかというとまず一ミリの数十分の一以上のものである、最強度な顕微鏡の力を借りてもその数千分の一以下に下げる事はできぬ。そしてその物から来る光の波長が一ミリの二千分の一ないし三千分・・・ 寺田寅彦 「物理学と感覚」
・・・ 映像の場合にも肉眼と写真カメラとの本質的差違のためにいろいろの問題は起こるが、これはもう周知の事でありこのためにいろいろのおもしろいトリックができるのである。 光の伝播は実用上ほとんど瞬時的であるが、音の速度は常温では毎秒三百四十メー・・・ 寺田寅彦 「耳と目」
・・・あたかも肉眼で遠景を見ると漠然としているが、一たび双眼鏡をかけると大きな尨大なものが奇麗に縮まって眸裡に印するようなものであります。そうしてこの双眼鏡の度を合わしてくれるのがすなわち沙翁なのであります。これが沙翁の句を読んで詩的だと感ずる所・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・がある、そこで一月に一つずつの肉眼では見えない卵細胞が育つ。それが体の外へ排出されるとき月経が起り、「子宮」の内壁から出血するのです。 この時期は、婦人にとって大切な時です。足をピチャピチャにぬらして風邪を引いたりしないように! ひ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト映画物語」
・・・女も男も獣の皮か木の葉をかけて、極く短い綴りの言葉を合図にして穴居生活を営んでいる時代に、原始男女の世界は彼等の遠目のきく肉眼で見渡せる地平線が世界というものの限界であった。人類によって理解され征服されていなかった自然の中には、様々のおそろ・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・ところが最近の植物の分類の方法は進歩して来て、只そうやって肉眼で見える形の上での類似などばかりにたよらず、もっとその植物の生存の本質的な点、例えば或る葉が一定の光の下でその葉緑素にどんな変化をおこすかという点にふれて観察して、その有機作用の・・・ 宮本百合子 「リアルな方法とは」
・・・我々はそれを肉眼によって見る事はできなかったが、しかし一種の霊気として感ずることはできた。隠れたる努力の威圧が、神秘の影をさえ帯びて、我々に敬度の情を起こさせずにはいなかったのである。 私は老樹の前に根の浅い自分を恥じた。そうして地下の・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫