・・・それだから、他人はもちろん肉親の人々やまた自分自身のでも、胸の奥底にある少しの黒い影でも見のがす事ができなかった。そしてそういう美しくないものに対する極端な潔癖は、人に対し自分に対する無心な純な感情の流露を妨げた。そうしてまたそのような感情・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・このことを世界の正義と良心に向って、しんから叫ぶことのできるのは、そのために肉親を犠牲にした日本の全人民である。平和は戦争に反対することによってのみたたかいとられる。〔一九五〇年七月〕 宮本百合子 「いまわれわれのしなければならないこと」
・・・ 今来るか――今来るか、悲しい黒装束の使者を涙ながらに待ちうけるその刻々の私の心の悲しさ――情なさ、肉親の妹の死は私にどれほどの悲しみを教えて呉れた事だろう。 よしそれが私の身に取って必ず受けなければならない尊い教えであったとしても・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・作家と読者との関係は単に需要者・供給者の関係ではない肉親的交流において見られたのであった。 再び文学の大衆化が文壇に論ぜられるに当って、大衆の文化的発展の諸要因が無視されると共に、作家との関係では、作品の給与者、被給与者としての面が強調・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ジャンを十三まで育てて亡くなったお祖母さん、唯一の肉親の思い出として語られているオリガ・ソルスキーという老婦人の身元もよくわからない。大方、激しい夫婦喧嘩の末離婚したという母のおっ母さんに当るひとででもあったのだろうと思われる。祖父トルスト・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・家を焼かれ、肉親と生活の安定を失った人も沢山あるだろう。めいめいの人生に、深い深い傷を受けて、そうして戦は終った。 民主的な日本にしなければならないというポツダム宣言を受諾した。日本の人民を解放し、民主社会にしなければならない責任を、い・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・こをめざした論より証拠は、こんどの帰還者を迎える準備として『国のあゆみ』『民主主義』を数万部増刷したということは発表したが、どこの誰も、ただのひとことも、引揚者の就職は保証されているとは云わなかった。肉親の顔がみられるうれしさにとりまぎれて・・・ 宮本百合子 「肉親」
・・・根本だということ、「思想というものは母の愛とか肉親の愛というものより遙に深いもの」であることをとりあげている作者は、「驚くべき変化であると同時に恐るべき変化」として若い時代の関心が社会に向けられていることを眺めている。昔は「地震、雷、火事、・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・に豊富自由であり、相手を活かす愛情の能力をもち、而もそういう天賦の能力について殆どまとまった自意識を持たなかった程、天真爛漫であった自然の美しさについて、心から讚歎を禁じることの出来ないのは恐らく我々肉親の子ら、その中でも最も複雑微妙な情愛・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・その乳房は肉親のように見えた。彼はその女の顔を一度見たいと願い出した。が、いつ見ても乳房は破れた塀の隙間いっぱいに垂れ拡がって動かなかった。いつまでもそれを見ていると、彼の世界はただ拡大された乳房ばかりとなって薄明が迫って来る。やがて乳房の・・・ 横光利一 「街の底」
出典:青空文庫