・・・ すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、こんな理窟を云い出しました。「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、何と書いてあると御思いなさる? 万口入れ所と書いてあるじゃありませんか? 万と云うからは何事で・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・駕籠のまわりは水野家の足軽が五十人、一様に新しい柿の帷子を着、新しい白の股引をはいて、新しい棒をつきながら、警固した。――この行列は、監物の日頃不意に備える手配が、行きとどいていた証拠として、当時のほめ物になったそうである。 それから七・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・いくら雪国でも、貴下様、もうこれ布子から単衣と飛びまする処を、今日あたりはどういたして、また襯衣に股引などを貴下様、下女の宿下り見まするように、古葛籠を引覆しますような事でござりまして、ちょっと戸外へ出て御覧じませ。鼻も耳も吹切られそうで、・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・継はぎの股引膝までして、毛脛細く瘠せたれども、健かに。谷を攀じ、峰にのぼり、森の中をくぐりなどして、杖をもつかで、見めぐるにぞ、盗人の来て林に潜むことなく、わが庵も安らかに、摩耶も頼母しく思うにこそ、われも懐ししと思いたり。「食べやしな・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・草色の股引を穿いて藁草履で立っている、顔が荷車の上あたり、顔といえば顔だが、成程鼻といえば鼻が。」「でございましょうね、旦那様。」「高いんじゃあないな、あれは希代だ。一体馬面で顔も胴位あろう、白い髯が針を刻んでなすりつけたように生え・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・僕はズボン下に足袋裸足麦藁帽という出で立ち、民子は手指を佩いて股引も佩いてゆけと母が云うと、手指ばかり佩いて股引佩くのにぐずぐずしている。民子は僕のところへきて、股引佩かないでもよい様にお母さんにそう云ってくれと云う。僕は民さんがそう云いな・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 断り無しに持って来た荷物を売りはらった金で、人力車を一台購い、長袖の法被に長股引、黒い饅頭笠といういでたちで、南地溝の側の俥夫の溜り場へのこのこ現われると、そこは朦朧俥夫の巣で、たちまち丹造の眼はひかり、彼等の気風に染まるのに何の造作・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・鼠股引の先生は二ツ折にした手拭を草に布いてその上へ腰を下して、銀の細箍のかかっている杉の吸筒の栓をさし直して、張紙のぬりちょくの中は総金箔になっているのに一盃ついで、一ト口呑んだままなおそれを手にして四方を眺めている。自分は人々に傚って、堤・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ 青い着物を着、青い股引をはき、青い褌をしめ、青い帯をしめ、ワラ草履をはき、――生れて始めて、俺は「編笠」をかぶった。だが、俺は褌まで青くなくたっていゝだろうと思った。 向うのコンクリートの建物の間を、赤い着物をきた囚人が一列に並ん・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・その前に、印も何も分らない半纒を着て、ところどころ切れて脛の出ている股引をはいた、赤黒い顔の男が立っていた。汚れた手拭を首にかけていた。龍介は今度は道をかえて、賑やかな通りへ出た。歩きながら、あの汽車で帰ったら、もう家へついて本でも読めたの・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
出典:青空文庫