・・・ この憐むべき盲人は肩身狭げに下等室に這込みて、厄介ならざらんように片隅に踞りつ。人ありてその齢を問いしに、渠は皺嗄れたる声して、七十八歳と答えき。 盲にして七十八歳の翁は、手引をも伴れざるなり。手引をも伴れざる七十八歳の盲の翁は、・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・省作がよく働きさえすれば母は家のものに肩身が広くいつでも愉快なのだ。慈愛の親に孝をするはわけのないものである。「今日明日とみっちり刈れば明後日は早じまいの刈り上げになる。刈り上げの祝いは何がよかろ、省作お前は無論餅だなア」 そういう・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・それも身から出た錆というような始末だから一層兄夫婦に対して肩身が狭い。自分ばかりでなく母までが肩身狭がっている。平生ごく人のよい省作のことゆえ、兄夫婦もそれほどつらく当たるわけではないが、省作自ら気が引けて小さくなっている。のっそり坊も、も・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・今日では何も昔のように社会の落伍者、敗北者、日蔭者と肩身を狭く謙り下らずとも、公々然として濶歩し得る。今日の文人は最早社会の寄生虫では無い、食客では無い、幇間では無い。文人は文人として堂々社会に対する事が出来る。 今日の若い新らしい作家・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・金さんの話で見りゃなかなか大したものだ、いわば世界中の海を跨にかけた男らしい為事で、端月給を取って上役にピョコピョコ頭を下げてるような勤人よりか、どのくらい亭主に持って肩身が広いか知れやしねえ」「本当にね、私もそう思うのさ。第一気楽じゃ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・親戚の女学校へ行っている娘は、友達の間で私の名が出るたび、肩身がせまい想いがするらしい。「そうだったかな。しかし誰に貸したんだろうな」「一人じゃないでしょう。来る人来る人に喜んで読ませてあげていたでしょう」悪趣味だという口つきだった・・・ 織田作之助 「世相」
・・・お辰は存分に材料を節約したから、祭の日通り掛りに見て、種吉は肩身の狭い想いをし、鎧の下を汗が走った。 よくよく貧乏したので、蝶子が小学校を卒えると、あわてて女中奉公に出した。俗に、河童横町の材木屋の主人から随分と良い条件で話があったので・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 母が身ももはやながくはあるまじく今日明日を定め難き命に候えば今申すことをば今生の遺言とも心得て深く心にきざみ置かれたく候そなたが父は順逆の道を誤りたまいて前原が一味に加わり候ものから今だにわれらさえ肩身の狭き心地いたし候この度こそそなたは・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・と、他人から云われると、おきのは、肩身が広いような気がした。嬉しくもあった。「あんた、あれが行たんを他人に云うたん?」と、彼女は、昼飯の時に、源作に訊ねた。「いゝや。俺は何も云いやせんぜ。」と源作はむし/\した調子で答えた。「そ・・・ 黒島伝治 「電報」
・・・ ひと一人、くらい境遇に落ち込んだ場合、その肉親のうちの気の弱い者か、または、その友人のうちの口下手の者が、その責任を押しつけられ、犯しもせぬ罪を世人に謝し、なんとなく肩身のせまい思いをしているものである。それでは、いけない。 うっ・・・ 太宰治 「緒方氏を殺した者」
出典:青空文庫