・・・(すこし躊躇胆嚢炎、かも知れないって。この病気は、お母さんのように何を食べてもすぐ吐くのでからだが衰弱してしまって、それで危険な事があるけれども、でも、いまに食べものがおなかにおさまるようになったら、一週間くらいでよくなると言っていまし・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・ 日本女の胆嚢は計らず一つの問題を、СССРの社会衛生に向ってなげ与えた。仮令先について居るたまが金むくであろうとも、二米のゴム管を十二指腸へ送り込む芸当は優美にして 快適な至芸ではない。自分は一生の間に屡々此は繰りかえしたくないこ・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・一九二九年正月から四月いっぱい、猛烈な胆嚢炎でモスクワ〔大学〕第一附属病院に入院した。五月から十一月末までベルリン、ウィーン、パリ、ロンドンなどを見物した。ヨーロッパの資本主義国の文化の過去と現在の老朽はおどろくべき・・・ 宮本百合子 「年譜」
出典:青空文庫