・・・斉田はそれを包みの上に書きつけて背嚢に入れた。 二人は早く重い岩石の袋をおろしたさにあとはだまって県道を北へ下った。 道の左には地図にある通りの細い沖積地が青金の鉱山を通って来る川に沿って青くけむった稲を載せて北へ続いていた。山の上・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・次の日諸君のうちの誰かは、きっと上野の停車場で、途方もない長い外套を着、変な灰色の袋のような背嚢をしょい、七キログラムもありそうな、素敵な大きなかなづちを、持った紳士を見ただろう。それは楢の木大学士だ。宝・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・そこで私は持って行ったパンの袋を背嚢から出して、すぐ喰べようとしましたが、急に水がほしくなりました。今まで歩いたところには、一とこだって流れも泉もありませんでしたが、もしかも少し向うへ行ったら、とにかく小さな流れにでもぶっつかるかも知れない・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・トルコ人たちは脚が長いし、背嚢を背負って、まるで磁石に引かれた砂鉄とい〔以下原稿数枚なし〕そうにあたりの風物をながめながら、三人や五人ずつ、ステッキをひいているのでした。婦人たちも大分ありました。又支那人かと思われる顔の黄いろな人と・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・わたくしが写真器と背嚢をたくさんもってセンダードの停車場に下りたのは、ちょうど灯がやっとついた所でした。わたくしは大学のすぐ近くのホテルからの客を迎える自動車へほかの五六人といっしょに乗りました。採って来たたくさんの標本をもってその巨きな建・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・大連でみんなが背嚢を調べられましたときも、銀の簪が出たり、女の着物が出たりして恥を掻く中で、わたくしだけは大息張でござりました。あの金州の鶏なんぞは、ちゃんが、ほい、又お叱を受け損う処でござりました、支那人が逃げた跡に、卵を抱いていたので、・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫