・・・が、その感じから暗澹たる色彩を奪ったのは、ほとんど美しいとでも形容したい、光滑々たる先生の禿げ頭で、これまた後頭部のあたりに、種々たる胡麻塩の髪の毛が、わずかに残喘を保っていたが、大部分は博物の教科書に画が出ている駝鳥の卵なるものと相違はな・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 納戸へ通口らしい、浅間な柱に、肌襦袢ばかりを着た、胡麻塩頭の亭主が、売溜の銭箱の蓋を圧えざまに、仰向けに凭れて、あんぐりと口を開けた。 瓜畑を見透しの縁――そこが座敷――に足を投出して、腹這いになった男が一人、黄色な団扇で、耳も頭・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・と打棄ったように忌々しげに呟いて、頬冠を取って苦笑をした、船頭は年紀六十ばかり、痩せて目鼻に廉はあるが、一癖も、二癖も、額、眦、口許の皺に隠れてしおらしい、胡麻塩の兀頭、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居の、七兵衛という親仁である・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・不精で剃刀を当てないから、むじゃむじゃとして黒い。胡麻塩頭で、眉の迫った渋色の真正面を出したのは、苦虫と渾名の古物、但し人の好い漢である。「へい。」 とただ云ったばかり、素気なく口を引結んで、真直に立っている。「おお、源助か。」・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・不精髯の胡麻塩の親仁であった。と、ばけものは、人の慾に憑いて邪心を追って来たので、優い婦は幻影ばかり。道具屋は、稚いのを憐れがって、嘘で庇ってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。 ――おなじ思が胸を打っ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・迫った太い眉に、大い眼鏡で、胡麻塩髯を貯えた、頤の尖った、背のずんぐりと高いのが、絣の綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈な腕を、客商売とて袖口へ引込めた、その手に一条の竹の鞭を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後は尾・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・頭髪が固そうに、胡麻塩である。 こうして客引きが出迎えているところを見ると、こんな夜更けに着く客もあるわけかとなにかほっとした。それにしても、この客引きのいる宿屋は随分さびれて、今夜もあぶれていたに違いあるまいと思った。あとでこの温泉に・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・それは、地震前には漆のように黒かった髪の毛が、急に胡麻塩になって、しかもその白髪であるべき部分は薄汚い茶褐色を帯びている事であった。そして、思いなしか、眼の光にも曇りが出来て、何となしに憔悴した表情がこの人の全外容に表われているのであった。・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・ ヘルマン教授は胡麻塩の長髪を後ろへ撫でつけていて、いつも七つ下がりのフロックを着ていたが、講義の言語はこの先生がいちばん分りやすくて楽であった。自由に図書室へ出入りすることを許されたが図書室の中はいつ行ってみても誰もいないでひっそりし・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・鼻の下にすくすく生えた短い胡麻塩髭や、泡のたまった口が汚らしく見えた。「忰は水練じゃ、褒状を貰ってましたからね。何でも三月からなくちゃ卒業の出来ねえところを、宅の忰はたった二週間で立派にやっちまった。それで免状をもらって、連隊へ帰って来・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫