・・・いったい甲音と乙音とが接続して響く際われわれ人間の内耳の微妙な機官に何事が起こってその結果われわれの脳髄に何事が起こるかということについては今日でも実はまだよくわかっていないのであるが、ただ甲が残して行った余響あるいは残像のようなものと、次・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・必竟われらは一種の潮流の中に生息しているので、その潮流に押し流されている自覚はありながら、こう流されるのが本当だと、筋肉も神経も脳髄も、凡てが矛盾なく一致して、承知するから、妙だとか変だとかいう疑の起る余地が天で起らないのである。丁度葉裏に・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・この病的にあらわされている主我とその心理傾向は、主観において強烈でありながら、客観的には一種の無力状態であるから、より年少な世代の精神的空白をみたし、戦争によって脳髄をぬきとられた青春にその誇りをとりもどし、その人間的心持に内容づけを与えて・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・頭から脳髄をとり、心臓をつぶしてしまって、ただ一つの忍耐という形の中に男も女も干しかためられてしまった。その石にされた心臓、そして脳髄をすりつぶされたような頭に鉄兜をつけて、毒瓦斯マスクをつけ、そしてみんなが運命を賭し、生命を賭した。日本の・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・ゾシチェンコは中央アジアのどこかに避難していて、羊の焙肉をたべていて、やせもしなかった体と、脂肪の沈着した脳髄とをもって、やつれはて、しかし元気は旺盛で、笑いを求めているレーニングラードに帰ってきた。そして自分の店をひろげはじめた。 ソ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ まるで、彼女は脳髄がいいスポンジのような心持がせずにはいられなかった。たくさん読み、たくさん考えているときの、あの頭が快く一杯になって、額の辺が堅く張って来る心持。心には何かが確かに遺されたという自覚。 一方で理性がそろそろと、必・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・p.232○生活力の総額の数秒時における痙攣 p.241○彼の作品における 時間と空間との克服の能力は、認識の及ばないところである p.241○つねにわき返っている肉と脳髄である。p.243○彼の作品の冗漫性にある意味――事・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・それと同じように、余所目には痩せて血色の悪い秀麿が、自己の力を知覚していて、脳髄が医者の謂う無動作性萎縮に陥いらねば好いがと憂えている。そして思量の体操をする積りで、哲学の本なんぞを読み耽っているのである。お母あ様程には、秀麿の健康状態に就・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・余程年も立っているので、記憶が稍おぼろげになってはいるが又却てそれが為めに、或る廉々がアクサンチュエエせられて、翳んだ、濁った、しかも強い色に彩られて、古びた想像のしまってある、僕の脳髄の物置の隅に転がっている。 勿論生れて始ての事であ・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫