・・・居を跨いでこの経由を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※包む間も無く朝早く目が覚めると、平生の通り朝食の仕度にと掛ったが、その間々にそろりそろりと雁坂越の準備をはじめて、重たいほどに腫れた我が顔の心地悪しさをも苦にぜず、団・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・足はまた腫れ上りて、ひとあしごとに剣をふむごとし。苦しさ耐えがたけれど、銭はなくなる道なお遠し、勤という修行、忍と云う観念はこの時の入用なりと、歯を切ってすすむに、やがて草鞋のそこ抜けぬ。小石原にていよいよ堪え難きに、雨降り来り日暮るるにな・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・道は遠し懐中には一文も無し、足は斯の通り脚気で腫れて歩行も自由には出来かねる。情があらば助力して呉れ。頼む。斯う真実を顔にあらわして嘆願するのであった。「実は――まだ朝飯も食べませんような次第で。」 と、その男は附加して言った。・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・低く小さい、鼻よりも、上唇一、二センチ高く腫れあがり、別段、お岩様を気にかけず、昨夜と同じに熟睡うまそう、寝顔つくづく見れば、まごうかたなき善人、ひるやかましき、これも仏性の愚妻の一人であった。 山上通信太宰治 ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・私だからこそ、これに菓子を与え、おかゆを作り、荒い言葉一つかけるではなし、腫れものにさわるように鄭重にもてなしてあげたのだ。ほかの人だったら、足蹴にして追い散らしてしまったにちがいない。私のそんな親切なもてなしも、内実は、犬に対する愛情から・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・熱がなかなかさがらなくて、そのうちに全身が紫色に腫れて来て、これもあなたのようないいお方を粗末にした罰で、当然の報いだとあきらめて、もう死ぬのを静かに待っていたら、腫れた皮膚が破れて青い水がどっさり出て、すっとからだが軽くなり、けさ鏡を覗い・・・ 太宰治 「竹青」
・・・眼蓋が腫れて顔つきが変ってしまい、そうしてその眼蓋を手で無理にこじあけて中の眼球を調べて見ると、ほとんど死魚の眼のように糜爛していた。これはひょっとしたら、単純な結膜炎では無く、悪質の黴菌にでも犯されて、もはや手おくれになってしまっているの・・・ 太宰治 「薄明」
・・・鼻孔からは、鼻血がどくどく流れ出し、両の眼縁がみるみる紫色に腫れあがる。 はるか遠く、楢の幹の陰に身をかくし、真赤な、ひきずるように長いコオトを着て、蛇の目傘を一本胸にしっかり抱きしめながら、この光景をこわごわ見ている女は、さちよである・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・、ふっとたまらなく自分がいじらしくなって来て、とてもつづけて体操できず泣き出しそうになって、それに、いま急激にからだを動かしたせいか、頸と腋下の淋巴腺が鈍く痛み出して、そっと触ってみると、いずれも固く腫れていて、それを知ったときには、私、立・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・まったく、女房の髪が抜け、顔いちめん腫れあがって膿が流れ、おまけにちんば、それで朝から晩までめそめそ泣きつかれていた日には、伊右衛門でなくても、蚊帳を質にいれて遊びに出かけたくなるだろうと思う。つぎに私は、友情と金銭の相互関係について、つぎ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫