・・・ 母は腹痛をこらえながら、歯齦の見える微笑をした。「帝釈様の御符を頂いたせいか、今日は熱も下ったしね、この分で行けば癒りそうだから、――美津の叔父さんとか云う人も、やっぱり十二指腸の潰瘍だったけれど、半月ばかりで癒ったと云うしね、そ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ あの夜、青森発の急行で帰京したが、帰京の直後に腹痛がはじまったというのである。「そいつあ、いけない。やっぱり無理だったのですね。」私も前に盲腸炎をやった事がある。そうして過労が盲腸炎の原因になるという事を、私は自分のその時の経験か・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・ もともと田島は器量自慢、おしゃれで虚栄心が強いので、不美人と一緒に歩くと、にわかに腹痛を覚えると称してこれを避け、かれの現在のいわゆる愛人たちも、それぞれかなりの美人ばかりではあったが、しかし、すごいほどの美人、というほどのものは無い・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ その、ヒッポの子、ネロが三歳の春を迎えて、ブラゼンバートは石榴を種子ごと食って、激烈の腹痛に襲われ、呻吟転輾の果死亡した。アグリパイナは折しも朝の入浴中なりしを、その死の確報に接し、ものも言わずに浴場から躍り出て、濡れた裸体に白布一枚・・・ 太宰治 「古典風」
・・・ばかな事と知りながら実行して、あとで劇烈な悔恨の腹痛に転輾する。なんにもならない。いくつになっても、同じ事を繰り返してばかりいるのである。こんどの旅行も、これは、ばかな旅行だ。なんだって、佐渡なんかへ、行って来なければいけないのだろう。意味・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・私たちは、決して刹那主義ではないけれども、あんまり遠くの山を指さして、あそこまで行けば見はらしがいい、と、それは、きっとその通りで、みじんも嘘のないことは、わかっているのだけれど、現在こんな烈しい腹痛を起しているのに、その腹痛に対しては、見・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・それから数日後、私は劇烈な腹痛に襲われたのである。私は一昼夜眠らずに怺えた。湯たんぽで腹部を温めた。気が遠くなりかけて、医者を呼んだ。私は蒲団のままで寝台車に乗せられ、阿佐ヶ谷の外科病院に運ばれた。すぐに手術された。盲腸炎である。医者に見せ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・彼の敵手は決勝まぎわに腹痛を起こして惜敗したと伝えられている。 こういう種類の競技には登場者の体重や身長を考慮した上で勝敗をきめるほうが合理的であるようにも思われるが、そうしないところを見ると結局強いもの勝ちの世の中である。 食いし・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・明治十九年に両親と祖母に伴われて東海道を下ったときに、途中で祖母が不時の腹痛を起こしたために予定を変えて吉浜で一泊した。ひどい雨風の晩で磯打つ波の音が枕に響いて恐ろしかったのが九歳の幼な心にも忘れ難く深い印象をとどめた。それから熱海へ来て大・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・東橋に出づ。腹痛やゝ治まる。向うへ越して交番に百花園への道を尋ね、向島堤上の砂利を蹴って行く。空いつの間にか曇りてポツリ/\顔におつれどさしたる事もなければ行手を急いで上へ/\と行く。道右へ廻りて両側に料理屋茶店など立ち並ぶ間を行く。右手に・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
出典:青空文庫