・・・しかし手証を見ぬことだから、膝下へ呼び出して、長煙草で打擲いて、吐させる数ではなし、もともと念晴しだけのこと、縄着は邸内から出すまいという奥様の思召し、また爺さんの方でも、神業で、当人が分ってからが、表沙汰にはしてもらいたくないと、約束をし・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・そして、この温情深い先生の膝下から、遠く離れるのを、心のうちで、どんなにさびしく思ったかしれません。 こうして、彼は、ついに東京の人となりました。 きた当座は、自転車に乗るけいこを付近の空き地にいって、することにしました。また、電話・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・『その次は今から五年ばかり以前、正月元旦を父母の膝下で祝ってすぐ九州旅行に出かけて、熊本から大分へと九州を横断した時のことであった。『僕は朝早く弟と共に草鞋脚絆で元気よく熊本を出発った。その日はまだ日が高いうちに立野という宿場まで歩・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・せつは、畳の上をぴんぴんはねまわって、母の膝下へざれつきに行った。与助は、にこにこしながらそれを見ていた。「そんなにすな、うるさい。」まだその時は妊娠中だった妻は、けだるそうにして、子供たちをうるさがった。 暫らくたって、主人は・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・終戦になって、何が何やら、ただへとへとに疲れて、誇張した言い方をするなら、ほとんど這うようにして栃木県の生家にたどりつき、それから三箇月間も、父母の膝下でただぼんやり癈人みたいな生活をして、そのうちに東京の、学生時代からの文学の友だちで、柳・・・ 太宰治 「女類」
・・・私は世にも情無い気持になりまして、それではこの金は要らないのか、と言いますと、彼女は落ちついて自分の膝元を顎で差し、ここへ置きなさい、と言うのです。私は、言いつけられたとおりにそこへ置いたとたん、さっと夕風が吹いて来て、その紙幣が庭へ飛び散・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・節子、冷然と坐ったままでいたのであるが、ふと、膝元の白い角封筒に眼をとめ、取りあげて立ち、縁側に出てはきものを捜し、野中のサンダルをつっかけ、無言で皆のあとを追う。――舞台、廻る。 第三場舞台は、月下・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・ 最後に、勲功によって授爵される場面で、尊貴の膝下にひざまずいて引き下がって来てから、老妻に、「どうも少しひざまずき方が間違ったようだよ」と耳語しながら、二人でふいと笑いだすところがある。あすこにもやはり一種の俳味があり、そうしていかに・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ 独創力のない学生が、独創力のある先生の膝下で仕事をしているときは仕事がおもしろいように平滑に進行する。その時弟子に自己認識の能力が欠乏していると、あたかも自分がひとりで大手を振って歩いているような気持ちがするであろう。しかし必ずしもそ・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・狭い店先には瞽女の膝元近くまで聞手が詰って居る。土間にも立って居る。そうして表の障子を外した閾を越えて往来まで一杯に成って居る。太十も其儘立って覗いて居た。斜に射すランプの光で唄って居る二女の顔が冴えて見える。一段畢ると家の内はがやがやと騒・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫