・・・腹から尻尾へかけてのブリッとした膨らみ。隅ずみまで力ではち切ったような伸び縮み。――そしてふと蝉一匹の生物が無上にもったいないものだという気持に打たれた。 時どき、先ほどの老人のようにやって来ては涼をいれ、景色を眺めてはまた立ってゆく人・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ 桑の芽は膨らみ麦は延びて、耕地は追々活気づいて来たけれども、もう耕す畑も海老屋の所有にされてしまったお石は、毎日古着や駄菓子を背負っては、近所の部落へ行商に出かけた。 禰宜様宮田は、あんな不意なことで死んでしまうし、家の畑は、とう・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・そうして、水平線は遙か一髪の光った毛のように月に向って膨らみながら花壇の上で浮いていた。 こういうとき、彼は絶えず火を消して眠っている病舎の方を振り返るのが癖である。すると彼の頭の中には、無数の肺臓が、花の中で腐りかかった黒い菌のように・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫