・・・私は一応考えた上、彼女の眼が私の動作に連れて動いたのは、ただ私がそう感じた丈けなんだろう、と思って、よく医師が臨終の人にするように彼女の眼の上で私は手を振って見た。 彼女は瞬をした。彼女は見ていたのだ。そして呼吸も可成り整っているのだっ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・新しいのや中古の卒塔婆などが、長い病人の臨終を思わせるように瘠せた形相で、立ち並んでいた。松の茂った葉と葉との間から、曇った空が人魂のように丸い空間をのぞかせていた。 安岡は這うようにして進んだ。彼の眼をもしその時だれかが見たなら、その・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・に明なりといえども、なお万一の僥倖を期して屈することを為さず、実際に力尽きて然る後に斃るるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩えていえば、父母の大病に回復の望なしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごと・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・行路病者として運びこまれた乞食の臨終に立ちあった彼女は、その優れた資質によってイギリス国王の病床にも侍しました。乞食であろうと国王であろうと、人間の病気とその苦悩、治癒と死の過程は、ひとしく人類の通る道です。しかし、病気そのものは一つでも、・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・ それを、何故、此の主義は、子を奪い去って、老いた両親に涙の臨終を与え、又その子をもほんろうし歎かせ、やがては、淋しい最後の床に送るのであろうか。 人々は、年老い、遠い昔に思を走せて居る一代前の人々の歎きを理由のないものとするかもし・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・林町の母の臨終の枕元にあったものの由です。というのは私はその時、迚も寒暖計などは目に入れる余裕がなかったから。この頃の朝六時前後は何度かしら。○下何度かしら。尤もここのでは分らないようなものであるが。大体風の天気がつづいて感心しませんね。・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・御珍蔵なされ候由に候。その後肥後守は御年三十一歳にて、慶安二年俄に御逝去遊ばされ候。御臨終の砌、嫡子六丸殿御幼少なれば、大国の領主たらんこと覚束なく思召され、領地御返上なされたき由、上様へ申上げられ候処、泰勝院殿以来の忠勤を思召され、七歳の・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・ るんは祖母をも息子をも、力の限介抱して臨終を見届け、松泉寺に葬った。そこでるんは一生武家奉公をしようと思い立って、世話になっている笠原を始、親類に奉公先を捜すことを頼んだ。 暫く立つと、有竹氏の主家戸田淡路守氏養の隣邸、筑前国福岡・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・れも叶わぬほどに弱ったお手は、ブルブル震えていましたが、やがて少し落着て……、落着てもまだ苦しそうに口を開けて、神に感謝の一言「神よ、オオ神よ、日々年々のこの婢女の苦痛を哀れと見そなわし、小児を側に、臨終を遂させ玉うを謝し奉つる。いと浅から・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・――この出来事がひどく気になっていただけに、臨終の日「死面」という言葉を聞いた時、私は異様な感じに胸を打たれた。ほんとうに悪い辻占であった。鼻の曲がっていたことも。 私が先生に初めて紹介された日にも奇妙な事があった。十八の正月に『倫敦塔・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫