・・・源氏物語自体が、質的にすぐれているとは思われない。源氏物語と私たちとの間に介在する幾百年の雨風を思い、そうしてその霜や苔に被われた源氏物語と、二十世紀の私たちとの共鳴を発見して、ありがたくなって来るのであろう。いまどき源氏物語を書いたところ・・・ 太宰治 「古典竜頭蛇尾」
・・・この作者は、未だほとんど無名にして、創作余談とでもいったものどころか、創作それ自体をさえ見失いかけ、追いかけ、思案し、背中むけ、あるいは起き直り、読書、たちまち憤激、巷を彷徨、歩きながら詩一篇などの、どうにもお話にならぬ甘ったれた文学書生の・・・ 太宰治 「創作余談」
・・・彼の言葉に依れば、彼のケエスそれ自体が現代のサンボルだ、中はうそ寒くからっぽであるというんだが、そんなときには私は、この男はいったいヴァイオリンを一度でも手にしたことがあるのだろうかという変な疑いをさえ抱くのである。そんな案配であるから、彼・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・は消失する代わりに「抽象された女それ自体」が出現するであろう。 この抽象と強調とアクセンチュエーションは、人形の顔のみならず、その動作にも同じ程度に現われる事はもちろんである。たとえば、すすり泣く女の肩の運動でも、実際の比例よりも郭大さ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・近ごろ見た漫画の中に登場した一匹の犬などは実によく犬という愛すべき家畜の特性を描象してほとんど「犬自体」を映出していると思われた。もう一つの漫画の長所は、音楽との対位法的モンタージュを行なう場合における視像のエキスプレッションが自由自在であ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・――ことに三吉には話の内容よりも、弁士自体が面白かった。右の肩で、テーブルをおすようにして、ひどい近眼らしく、ふちなしの眼鏡で天井をあおのきながら、つっかかってくる。ところどころ感動して手をたたこうと思っても、その暇がない。――われわれ労働・・・ 徳永直 「白い道」
・・・しかし真実在の問題は不可知的なる物自体の問題として捨てられた。問題を打ち切ってしまえばそれまでであるが、そこに多く問題が残されているといわざるを得ない。哲学は主観主義的となった。無論それを心理主義的というのではないが、知識の客観性といっても・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・とするならば、「六神丸それ自体は一体何に似てるんだ」そして「何のためにそれが必要なんだ」それは恰も今の社会組織そっくりじゃないか。ブルジョアの生きるために、プロレタリアの生命の奪われることが必要なのとすっかり同じじゃないか。 だが、私た・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・この事自体からして、余り褒めた気持のいい話じゃない。そこへ持って来て、子供二人と老母と嬶とこれだけの人間が、私を、この私を一本の杖にして縋ってるんです。 手負い猪です。 医者が手当をしてくれると、私は面接所に行った。わざと、下駄を叩・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・は、この作家が彼の主観の角度にしたがってソヴェトから何をどう見て来たかというそのこと自体を、現代文化の崩壊的な一つの現実の姿として眺めるために役立ちはするが、ソヴェト生活のルポルタージュであると云えないことは周知のとおりである。 徳永直・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
出典:青空文庫