・・・立てんなど喧しく議論して、あるいは儒道に由らんといい、あるいは仏法に従わんといい、あるいは耶蘇教を用いんというものあれば、また一方にはこれを悦ばず、儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便なり、つまり自愛に溺れず、博愛に流れず、まさにその中・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・なかなか烈風吹きすさぶ新春です何卒御自愛下さい。宮本百合子 一九四三年九月八日〔大森区新井宿一ノ二三四五 高根包子宛 本郷区林町二一より〕 先日は山からのおたよりありがたく頂きました。お忙しくてもいつも御元気で本当に何よ・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・そしていつも論争者の自愛心が私を焦立たせる。」 ここでまことに面白いことは、この夜プレハーノフの論文を朗読し、漫罵の代りに本質的な反駁をやることは出来ないかと特に注意した一人の青年フェドセーエフが、喧々囂々の中で苦しそうにしているゴーリ・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・、いつも論争者の自愛心が彼をいら立たせるのであった。 今日の歴史によって顧れば、ゴーリキイにとって苦しかったこの一八八〇年代の後半は、ちょうどロシアの解放運動が一転期に際した時代であった。以前の「人民の意志」団が分裂して、新たな「労働解・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
・・・またすべての愛は自愛に帰納せられた。人を愛する心持ちがどんなに強く自分の内に起って来ようとも、それを自愛まで持って行かなければ満足が出来なかった。 この時自分の解していた「自己肯定」より見れば自分のこの傾向は至極徹底的であった。すべての・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・愛のうち自然的に最も強く存在する自愛に対しても、先生は「私」を許さなかった。そのために自己に対する不断の注意と警戒とを怠らなかった先生は、人間性の重大な暗黒面――利己主義――の鋭利な心理観察者として我々の前に現われた。 先生にとっては「・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫