・・・が、とにかく、これは問屋、市場へ運ぶのではなく、漁村なるわが町内の晩のお菜に――荒磯に横づけで、ぐわッぐわッと、自棄に煙を吐く艇から、手鈎で崖肋腹へ引摺上げた中から、そのまま跣足で、磯の巌道を踏んで来たのであった。 まだ船底を踏占めるよ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・最後に、肩と頭と一団になったと思うと――その隊長と思うのが、衝と面を背けました時――苛つように、自棄のように、てんでんに、一斉に白墨を投げました。雪が群って散るようです。「気をつけ。」 つつと鷲が片翼を長く開いたように、壇をかけて列・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・貴方を抱いて、ちゃんと起きて、居直って、あいそづかしをきっぱり言って、夜中に直ぐに飛出して、溜飲を下げてやろうと思ったけれど……どんな発機で、自棄腹の、あの人たちの乱暴に、貴方に怪我でもさせた日にゃ、取返しがつかないから、といま胸に手を置い・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・――誰に習っていつ覚えた遣繰だか、小皿の小鳥に紙を蔽うて、煽って散らないように杉箸をおもしに置いたのを取出して、自棄に茶碗で呷った処へ――あの、跫音は――お澄が来た。「何もございませんけれど、」と、いや、それどころか、瓜の奈良漬。「山家です・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 仰向けに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄に言った。「いや、……自分で拝もう。」 時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋の石臼も眼が窪み口が欠けて髑髏のように見え、曼珠沙華も鬼火に燃えて、・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・モグラモチのように蠢きながらも生きて行かねばならぬ、罪業の重さに打わなきながらも明るみを求めて自棄してはならぬ――こういった彼の心持の真実は自分にもよくわかる気がする。といって自分のあの作が、それだけの感動に値いするものだとはけっして考えは・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・私の今日の惨めな生活、瘠我慢、生の執着――それが彼の一滴の涙によって、たとえ一瞬間であろうと、私の存在が根柢から覆えされる絶望と自棄を感じないわけに行かなかった。この哀れな父を許せ! 父の生活を理解してくれ――いつの場合でも私はしまいにはこ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・しかるに叔父さんもその希望が全くなくなったがために、ほとんど自棄を起こして酒も飲めば遊猟にもふける、どことなく自分までが狂気じみたふうになられた。それで僕のおとっさんを始めみんな大変に気の毒に思っていられたのである。 ところが突然鉄也さ・・・ 国木田独歩 「鹿狩り」
・・・私の心にもなき驕慢の擬態もまた、射手への便宜を思っての振舞いであろう。自棄の心からではない。私を葬り去ることは、すなわち、建設への一歩である。この私の誠実をさえ疑う者は、人間でない。私は、つねに、真実を語った。その結果、人々は、私を非常識と・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そんな天変地異をも平気で受け入れ得た彼自身の自棄が淋しかったのだ。 そんなら自分は、一生涯こんな憂鬱と戦い、そうして死んで行くということに成るんだな、と思えばおのが身がいじらしくもあった。青い稲田が一時にぽっと霞んだ。泣いたのだ。彼・・・ 太宰治 「葉」
出典:青空文庫