・・・けれども、人間の行い得る最高至純の懺悔の形式は、かのゲッセマネの園に於ける神の子の無言の拝跪の姿である、とするならば、オーガスチンの懺悔録もまた、俗臭ふんぷんということになるであろう。みな、だめである。ここに言葉の運命がある。 安心する・・・ 太宰治 「思案の敗北」
・・・ 私がそれを信じ、それに遵おうと思わずにはいられない愛の理想的状態と、真実に反省して見出した愛の現状との間には、いかに粗雑な眼も、見逃すことは出来ない径庭が在るのです。至純な愛が発露した時、若しあらゆる具体的表現が、自分の愛する者にとっ・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
・・・ 女性の感情の至純さと、素質の平等、一言に云えば夫人の良人に対する知と云うものに尊敬の払えないような、所謂男らしい欠点を多大に持った人は、こちらの女性に対して、彼の持つ、哀れむべき尊厳を犯される不安から、虚勢を張ってけなしてしまいます。・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 至純な芸術境にあって死身に仕事が出来れば結構ですが、要するに其も質の問題だと思います。エルマンをお聴きでしたか。世の中に一人あって二人とないあの芸術、物理学的な機械観念から離れた真実の心音、あの心境が創作の上に移し得られるならばと思い・・・ 宮本百合子 「女流作家として私は何を求むるか」
・・・ 私は、母上の心情にも同情し、理解したが、同時に、至純な、親と云うものの概念に恐ろしい汚点をつけられた。自分は、彼等を何だと思って居たのか、とさえ思った。彼女自身は、自分の愛は、親の愛であるが故に尊く浄く、且つ正当なものであると信じて居・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
出典:青空文庫