・・・しかも、その満足は、復讐の目的から考えても、手段から考えても、良心の疚しさに曇らされる所は少しもない。彼として、これ以上の満足があり得ようか。…… こう思いながら、内蔵助は眉をのべて、これも書見に倦んだのか、書物を伏せた膝の上へ、指で手・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・そうすれば己の良心は、たとえあの女を弄んだにしても、まだそう云う義憤の後に、避難する事が出来たかも知れない。が、己にはどうしても、そうする余裕が作れなかった。まるで己の心もちを見透しでもしたように、急に表情を変えたあの女が、じっと己の目を見・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・俺たちのように良心をもって真剣に働く人間がこんな大きな損失を忍ばねばならぬというのは世にも悲惨なことだ。しかし俺たちは自分の愛護する芸術のために最後まで戦わねばならない。俺たちの主張を成就するためには手段を選んではいられなくなったんだ。俺た・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・といわんは、渠の良心の許さざりけむ、差俯向きてお貞は黙しぬ。「あかりが暗い、掻立てるが可い。お前が酷く瘠せッこけて、そうしょんぼりとしてる処は、どう見ても幽霊のようじゃ、行燈が暗いせいだろう。な。」「はい。」 お貞は、深夜幽・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・口の先では済まない事をした、申訳がありませんといったが、腹の底では何を思ってるか知れたもんじゃない。良心がまるで曇ってる。」「Yも平気でしたか?」「イヤ、Yは小さくなって悄れ返っていた。アレは誘惑されたんだ、オモチャにされたんだ。」・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・私は、良心が、不正を許さないために、戦いましたばかりです。」と、若者は答えました。 二人は、とぼとぼと話しながら、町を出はずれて、あちらに歩いていきました。「これから、あなたは、どこへおゆきなさいますか。」と、子供は、若者にたずねま・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・人間を改造するものは、良心の陶冶に依るものです。芸術の使命が、宗教や、教育と、相俟ってこゝに目的を有するのは言うまでもないことです。 一人の心から、他の心へ、一人の良心から、他の良心へと波動を打って、民衆の中にはいって行くものが、真の芸・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・ついでに、良心の方もちくちく痛んだ。あの娘は姙娠しよるやろか、せんやろかと終日思い悩み、金助が訪ねてこないだろうかと怖れた。「教育上の大問題」そんな見出しの新聞記事を想像するに及んで、苦悩は極まった。 いろいろ思い案じたあげく、今のうち・・・ 織田作之助 「雨」
・・・よくよく恥しいという謙遜の美徳があれば、その人の芸術的良心にかけても、たれも本にすまい。人に読ませる積りで書いたのではないという原稿でも、結局は世に出ている。自分の死んだあと、全集を出すなと遺言した作家は何人いるだろうか。 謙遜は美徳で・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・にあの作には非常な誇張がある、けっして事実のものの記録ではないのだが、それがこの青年囚徒氏に単純な記録として読まれて、作品としての価値以上の一種の感激を与えていたということになると、自分は人間としての良心の疚しさを感じないわけに行かないのだ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
出典:青空文庫