・・・若い男が倒れていてな、……川向うの新地帰りで、――小母さんもちょっと見知っている、ちとたりないほどの色男なんだ――それが……医師も駆附けて、身体を検べると、あんぐり開けた、口一杯に、紅絹の糠袋……」「…………」「糠袋を頬張って、それ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・――舌も引かぬに、天井から、青い光がさし、その百姓屋の壁を抜いて、散りかかる柳の刃がキラリと座のものの目に輝いた時、色男の顔から血しぶきが立って、そぎ落された低い鼻が、守宮のように、畳でピチピチと刎ねた事さえある。 いま現に、町や村で、・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ その夜、松の中を小提灯で送り出た、中京、名古屋の一客――畜生め色男――は、枝折戸口で別れるのに、恋々としてお藻代を強いて、東の新地――廓の待合、明保野という、すなわちお町の家まで送って来させた。お藻代は、はじめから、お町の内に馴染では・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・学士先生の若夫人と色男の画師さんは、こうなると、緋鹿子の扱帯も藁すべで、彩色をした海鼠のように、雪にしらけて、ぐったりとなったのでございます。 男はとにかく、嫁はほんとうに、うしろ手に縛りあげると、細引を持ち出すのを、巡査が叱りましたが・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・のぼせて、頭ばっかり赫々と、するもんだで、小春さんのいい人で、色男がるくせに、頭髪さ、すべりと一分刈にしている処で、治兵衛坊主、坊主治兵衛だ、なあ、旦那。」 かくと聞けば、トラホーム、目の煩いと思ったは恥かしい。袂に包んだ半紙の雫は、ま・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・――大阪のある芸者――中年増であった――がその色男を尋ねて上京し、行くえが分らないので、しばらく僕の家にいた後、男のいどころが分ったので、おもちゃのような一家を構えたが、つれ添いの病気のため収入の道が絶え、窮したあげくに、この襦袢を僕の家の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、世間から款待やされて非常な大文豪であるかのように持上げられて自分を高く買うようになってからの緑雨の皮肉は冴を失って、或時は田舎のお大尽のように横柄で鼻持がならなかったり、或時は女に振棄てられた色男のように愚痴ッぽく厭味であったりした。緑・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・夜のとばりがせめてもに、この醜さを隠しましょうと、色男気取った氏神詣りも、悪口祭の明月に、覗かれ照らされその挙句、星の数ほどあるアバタの穴を、さらけ出してしまったこの恥かしさ、穴あらばはいりもしたが、まさかアバタ穴にもはいれまい。したが隠れ・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・馬鹿馬鹿しい話だとお笑いもございましょうが、全くそうでしたので、まず私が村の色男になったのでございます。 そのころ私は女難の戒めをまるで忘れたのではありませんが、何を申すにも山里のことですから、若い者が二三人集まればすぐ娘の評判でござい・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・『八犬伝』の中の左母二郎などという男は、凡庸人物というよりもやや奸悪の方の人物でありますが、まさに馬琴の同時代に沢山生存して居たところの人物でありまして、それらの一種の色男がり、器用がり、人の機嫌を取ることが上手で、そして腹の中は不親切・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
出典:青空文庫