・・・滝田君は僕と一しょにいた佐佐木茂索君を顧みながら、「芥川さんよりも痩せていますか?」といった。 ◇ 滝田君の訃に接したのは、十月二十七日の夕刻である。僕は室生犀生君と一しょに滝田君の家へ悔みに行った。滝田君は庭に面した・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎君」
・・・「どうも芥川さんの美術論は文学論ほど信用出来ないからなあ。」――滝田君はいつもこう言って僕のあき盲を嗤っていた。 滝田君が日本の文芸に貢献する所の多かったことは僕の贅するのを待たないであろう。しかし当代の文士を挙げて滝田君の世話になった・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・が、土曜から日曜へかけては必ず僕の母の家へ――本所の芥川家へ泊りに行った。「初ちゃん」はこう云う外出の時にはまだ明治二十年代でも今めかしい洋服を着ていたのであろう。僕は小学校へ通っていた頃、「初ちゃん」の着物の端巾を貰い、ゴム人形に着せたの・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・――近い処が以前からお宅をひいきの里見、中戸川さん、近頃では芥川さん。絵の方だと横山、安田氏などですか。私も知合ではありますが、たとえば、その人たちにも話をしません。芥川さんなどは、話上手で、聞上手で、痩せていても懐中が広いから、嬉しそうに・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・蘇峰も漱石も芥川龍之介も頗る巧妙な警句の製造家である。が、緑雨のスッキリした骨と皮の身体つき、ギロリとした眼つき、絶間ない唇辺の薄笑い、惣てが警句に調和していた。何の事はない、緑雨の風、人品、音声、表情など一切がメスのように鋭どいキビキビし・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・森鴎外でも志賀直哉でも芥川龍之介でも横光利一でも川端康成でも小林秀雄でも頭脳優秀な作家は、皆眼鏡を掛けていない。それに比べると、眼鏡を掛けた作家は云々。僕は眼鏡を掛けていない。だから云々と己惚れるのである。 そしてまた思うのである。森鴎・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・ 春月と同年の生れで春月より三年早く死んだ芥川龍之介は、、私くらいの年恰好の者には文学の上でも年齢の上でもはるかに高いところにあると思われていた。今でもその感じはなお多分に残っているだろう。が、文学の上ではともかく、年齢的には、そういう・・・ 黒島伝治 「短命長命」
・・・ 自然主義運動に対立して平行線的に進行をつゞけた写生派、余裕派、低徊派等の諸文学については、森鴎外が、軍医総監であったことゝ、後に芥川龍之介が「将軍」を書いている以外、軍事的なものは見あたらない。たゞ、それらの文学と深い関係のある、或る・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 久保万、吉井勇、菊池寛、里見、谷崎、芥川、みな新進作家のようであった。私はそれこそ一村童に過ぎなかったのだけれども、兄たちの文学書はこっそり全部読破していたし、また兄たちの議論を聞いて、それはちがう、など口に出しては言わなかったが腹の・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・これでみると、まるであなたひとりで芥川賞をきめたように思われます。これは、あなたの文章ではない。きっと誰かに書かされた文章にちがいない。しかもあなたはそれをあらわに見せつけようと努力さえしている。「道化の華」は、三年前、私、二十四歳の夏に書・・・ 太宰治 「川端康成へ」
出典:青空文庫