・・・いつかここでたいへんおもしろいと思う花瓶を見つけてついでのあるたびにのぞいて見た。それは少し薄ぎたないようなものであったせいか、長い間買い手もつかずそこに陳列されていた。これと始めのうちに同居していたたくさんの花瓶はだんだんに入り代わって行・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・壁際につッた別の棚には化粧道具や絵葉書、人形などが置かれ、一輪ざしの花瓶には花がさしてある。わたくしは円タクの窓にもしばしば同じような花のさしてあるのを思い合せ、こういう人たちの間には何やら共通な趣味があるような気がした。 上框の板の間・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・ 画は一輪花瓶に挿した東菊で、図柄としては極めて単簡な者である。傍に「是は萎み掛けた所と思い玉え。下手いのは病気の所為だと思い玉え。嘘だと思わば肱を突いて描いて見玉え」という註釈が加えてあるところをもって見ると、自分でもそう旨いとは考え・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・ コスモスの花瓶にホンのすこしアスピリンをいれました。ぐったりしたから。利くかしら? もとスウィートピーにアスピリンをやったら、すっかり花が上を向いて紙細工のようになってうんざりしたことがあった。 この頃の小説の題は皆一凝りも二凝り・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・色とりどり実にふんだんな卓上の盛花、隅の食器棚の上に並べられた支那焼花瓶、左右の大聯。重厚で色彩が豊富すぎる其食堂に坐った者とては、初め私達二人の女ぎりであった。人間でないものが多すぎる。其故、花や陶器の放つ色彩が、圧迫的に曇天の正午を生活・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・棚には、紅釉薬の支那大花瓶が飾ってある。その上、まだ色彩の足りないのを恐れるかのように、食卓の一つ一つに、躑躅、矢車草、金蓮花など、一緒くたに盛り合わせたのが置いてある。年寄の、皺だらけで小さい給仕が、出て来た。空腹ではあったし、料理は決し・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・某が刀は違棚の下なる刀掛に掛けあり、手近なる所には何物も無之故、折しも五月の事なれば、燕子花を活けありたる唐金の花瓶を掴みて受留め、飛びしざりて刀を取り、抜合せ、ただ一打に相役を討果たし候。 かくて某は即時に伽羅の本木を買取り、杵築へ持・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・といらえつつ、二足三足つきてゆけば、「かしこなる陶物の間見たまいしや、東洋産の花瓶に知らぬ草木鳥獣など染めつけたるを、われに釈きあかさん人おん身のほかになし、いざ」といいて伴いゆきぬ。 ここは四方の壁に造りつけたる白石の棚に、代々の君が・・・ 森鴎外 「文づかい」
・・・机の上の果物、花瓶、草花。あるいは庭に咲く日向葵、日夜我らの親しむ親や子供の顔。あるいは我らが散歩の途上常に見慣れた景色。あるいは我々人間の持っているこの肉体。――すべて我々に最も近い存在物が、彼らに対して、「そこに在ることの不思議さ」を、・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫