・・・子爵はやはり微笑を浮べながら、私の言を聞いていたが、静にその硝子戸棚の前を去って、隣のそれに並べてある大蘇芳年の浮世絵の方へ、ゆっくりした歩調で歩みよると、「じゃこの芳年をごらんなさい。洋服を着た菊五郎と銀杏返しの半四郎とが、火入りの月・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・……御存じかも知れません、芳年の月百姿の中の、安達ヶ原、縦絵二枚続の孤家で、店さきには遠慮をする筈、別の絵を上被りに伏せ込んで、窓の柱に掛けてあったのが、暴風雨で帯を引裂いたようにめくれたんですね。ああ、吹込むしぶきに、肩も踵も、わなわな震・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・劇壇において芝翫、彦三郎、田之助の名を挙げ得ると共に文学には黙阿弥、魯文、柳北の如き才人が現れ、画界には暁斎や芳年の名が轟き渡った。境川や陣幕の如き相撲はその後には一人もない。円朝の後に円朝は出なかった。吉原は大江戸の昔よりも更に一層の繁栄・・・ 永井荷風 「銀座」
出典:青空文庫