・・・なる荷車と老朽悲鳴をあげるほどの吾が自転車との衝突は、おやじの遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・既にその時代、俳諧は大流行していて若殿自身蝉吟という俳号をもって、談林派の俳人季吟の弟子であった。宗房もその相手をし早くから俳諧にはふれていたとみられている。「犬と猿世の中良かれ酉の年」というような句を十四歳頃作ったという云いつたえもある。・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・ 市太夫も五太夫も島原の軍功で新知二百石をもらって別家しているが、中にも市太夫は早くから若殿附きになっていたので、御代替りになって人に羨まれる一人である。市太夫が膝を進めた。「なるほど。ようわかりました。実は傍輩が言うには、弥一右衛門殿・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・、それを持って帰ろうとして、紳士がそんな物をぶら下げてお歩きにならなくても、こちらからお宿へ届けると云われ、頼んで置いて帰ってみると、品物が先へ届いていた事や、それからパリイに滞在していて、或る同族の若殿に案内せられてオペラを見に行った時、・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・もう当分我々は家なんぞはいらんが、若殿が旅に出て風を引かぬように、支度だけはして遣らんではならんぞ」叔父は宇平を若殿々々と呼んで揶揄っているのである。「はい」と云ったりよは、その晩から宇平の衣類に手を着けた。 九日にはりよが旅支度に・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ しかし奥様がどことなく萎れていらしって恍惚なすった御様子は、トント嬉かった昔を忍ぶとでもいいそうで、折ふしお膝の上へ乗せてお連になる若殿さま、これがまた見事に可愛い坊様なのを、ろくろくお愛しもなさらない塩梅、なぜだろうと子供心にも思いまし・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫