・・・夭死と云う事が、何だか一種の美しい事のような心持がしたし、またその時考えていた死と云うものは、有が無になるような大事件ではなく、ただ花が散ってその代りに若葉の出るようなほんのちょっとした変り目で、人が死んでも心はそこらの野の花になって咲いて・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ 四月も末近く、紫木蓮の花弁の居住いが何となくだらしがなくなると同時にはじめ目立たなかった青葉の方が次第に威勢がよくなって来るとその隣の赤椿の朝々の落花の数が多くなり、蘇枋の花房の枝の先に若葉がちょぼちょぼと散点して見え出す。すると霧島・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・ 若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨の雫が葉末から音もなく滴る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・コールタを流したような真黒な溝の水に沿い、外囲いの間の小径に進入ると、さすがに若葉の下陰青々として苔の色も鮮かに、漂いくる野薔薇の花の香に虻のむらがり鳴く声が耳立って聞える。小径の片側には園内の地を借りて二階建の俗悪な料理屋がある。その生垣・・・ 永井荷風 「百花園」
・・・暮も過ぎ正月も過ぎ、花も散って、また若葉の時節となった。是からどの位廻転するかわからない、只長えに変らぬものは甕の中の猫の中の眼玉の中の瞳だけである。 明治四十年五月 夏目漱石 「『吾輩は猫である』下篇自序」
・・・ 蟻垤蟻王宮朱門を開く牡丹かな 波翻舌本吐紅蓮閻王の口や牡丹を吐かんとす その句またまさに牡丹と艶麗を争わんとす。 若葉もまた積極的の題目なり。芭蕉のこれを詠ずるもの一、二句にして 招提寺若葉し・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 非常に肉の薄い細く分れた若葉の集り。 一つ一つの葉が皆薄小豆色をして居て、ホッサリと、たわむ様にかたまった表面には、雨に濡れた鈍銀色と淡い淡い紫が漂って居る。 細い葉先に漸々とまって居る小さい水玉の光り。 葉の重り重りの作・・・ 宮本百合子 「雨が降って居る」
或る心持のよい夕方、日比谷公園の樹の繁みの間で、若葉楓の梢を眺めていたら、どこからともなくラジオの声が流れて来た。職業紹介であった。 ずっと歩いて行って見たら、空地に向った高いところに、満州国からの貴賓を迎えるため赤や・・・ 宮本百合子 「或る心持よい夕方」
・・・柔らかい若葉の豊かな湧き上がるような感触は、――ただこの感触の一点だけは、――油絵の具をもって現わし難いところを現わし得ているように思われる。また川端氏の画と違って光や空気に対する注意も幾分か現わされているようである。しかし若葉を緑色の塊と・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・朝飯は、蓮の若葉を刻み込んだ蓮飯であった。 谷川君はこの時には何も言わなかったが、その後何かの機会にマラリヤの話が出て、巨椋池の周囲の地方には昔から「おこり医者」といってマラリヤの療法のうまい医者があることを聞かせてくれた。巨椋池に・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫