・・・しかしいかなる英雄も赤子も死に対しては何らの意味も有たない、神の前にて凡て同一の霊魂である。オルカニヤの作といい伝えている画に、死の神が老若男女、あらゆる種々の人を捕え来りて、帝王も乞食もみな一堆の中に積み重ねているのがある、栄辱得失もここ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・彼等の中で、比較的忠実に読んだ人さへが、単なる英雄主義者として、反キリストや反道徳の痛快なヒーローとして、単純な感激性で崇拝して居たこと、あたかも大正期の文壇でトルストイやドストイェフスキイやを、単なる救世軍の大将として、白樺派の人々が崇拝・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・私は実際、正直な所其時、英雄的な、人道的な、一人の禁欲的な青年であった。全く身も心もそれに相違なかった。だから、私は彼女に、私が全で焼けつくような眼で彼女の××を見ていると云うことを、知られたくなかったのだ。眼だけを何故私は征服することが出・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・日本の外には亜細亜諸国、西洋諸洲の歴史もほとんど無数にして、その間には古今英雄豪傑の事跡を見るべし。歴山王、ナポレオンの功業を察し、ニウトン、ワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊太閤なきに非ず、物徂徠も誠に東海の一小先生のみ。・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・しかれども百年後の今日に至りこの語を襲用するもの続々として出でんか、蕪村の造語はついに字彙中の一隅を占むるの時あらんも測りがたし。英雄の事業時にかくのごときものあり。 蕪村は古文法など知らざりけん、よし知りたりともそれにかかわらざりけん・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・衣、骭に――到り――か、天下の英雄は眼中にあり――か。人を馬鹿にしてるな。そりゃ、聞えません伝兵エサンと来るじゃないか。三吉一つ歌って見や。アイアイ。そんな事じゃなかったよ。坂、坂は照る照る鈴、鈴鹿は曇る、あいのあいの土山雨がふる、ヨーヨー・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・という東條英機の芭蕉もじりの発句には、彼の変ることない英雄首領のジェスチュアがうかがわれる。二十五種類の辞句のうちに、ただの一枚も、こころから日本の未来によびかけて、その平和と平安のために美しい、現実的な祝福をあたえたものがない。このことに・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・三国時代の英雄は髀に肉を生じたのを見て歎じた。それと同じように、余所目には痩せて血色の悪い秀麿が、自己の力を知覚していて、脳髄が医者の謂う無動作性萎縮に陥いらねば好いがと憂えている。そして思量の体操をする積りで、哲学の本なんぞを読み耽ってい・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・――「そうだ、この花は、英雄だ。」 彼は百合を攫むと部屋の外へ持ち出した。が、さて捨てるとなると、その濡れたように生き生きとした花粉の精悍な色のために、捨て処がなくなった。彼は小猫を下げるように百合の花束をさげたまま、うろうろ廊下を・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・まことに英雄的生活が試練と苦悩と精力と勤労とにおいておもに偉大であったことは、私たちの勇気を鼓舞し私たちをふるい立たせます。憐れなる悩める者も誠実な勇気と努力とをもってすればついには何者かになり得るのです。偉大な人々の悲劇的生活は私たちの慰・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫