・・・今まで根強く嫌悪していたものが、ここでは日常茶飯事として簡単に取引きされていたのだ。そういうことへの嫌悪にあまりに憑かれていた自分があほらしくなった。豹一ははじめて女を知った。けれども、さすがに窓の下を走る車のヘッドライトが暗闇の天井を一瞬・・・ 織田作之助 「雨」
・・・日常茶飯事の欠伸まじりに倦怠期の夫婦が行う行為と考えてみたり、娼家の一室で金銭に換算される一種の労働行為と考えてみたりしたが、なお割り切れぬものが残った。円い玉子も切りようで四角いとはいうものの、やはり切れ端が残るのである。欠伸をまじえても・・・ 織田作之助 「世相」
・・・それは、あなたが一口に高踏派と言われているのと同じくらいの便宜上の分類に過ぎませぬが、私の小説の題材は、いつも私の身辺の茶飯事から採られているので、そんな名前をもらっているのです。私は、「たしかな事」だけを書きたかったのです。自分の掌で、明・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・最も日常茶飯事的なるもの「おれは男性である。」この発見。かれは家人の「女性。」に気づいてから、はじめて、かれの「男性。」に気づいた。同棲、以来、七年目。蟹について 阿部次郎のエッセイの中に、小さい蟹が自分のう・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・そのつぎにおのれの近況のそれも些々たる茶飯事を告げる。昨日わが窓より外を眺めていたら、たくさんの烏が一羽の鳶とたたかい、まことに勇壮であったとか、一昨日、墨堤を散歩し奇妙な草花を見つけた、花弁は朝顔に似て小さく豌豆に似て大きくいろ赤きに似て・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・の観客は、この東京の電車や四つ辻におけると同じような態度で、フランスの都の裏町を漫歩しつつその町の屋根の下に起こりつつあるであろうところの尋常茶飯事を見物してあるくのである。これは決してつまらないことではない。かくする事によって観客はほんと・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりきったと思われることで、そうして、普通の意味でいわゆるあたまの悪い人にでも容易にわかったと思われるような尋常茶飯事の中に、何かしら不可解な疑点を認めそうしてその闡明に苦吟するということが、単なる・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・しかしまたチェホフのような人は日常茶飯事的環境に置かれた人間の行動から人性の真を摘出して見せた。そうしてわが日本の、乞食坊主に類した一人の俳人芭蕉は、たったかな十七文字の中に、不可思議な自然と人間との交感に関する驚くべき実験の結果と、それに・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そういうわけであるから現代の読者にはあまりに平凡な尋常茶飯事でも、半世紀後の好事家には意外な掘り出し物の種を蔵しているかもしれない。明治時代の「風俗画報」がわれわれに無限の資料を与え感興をそそるのもそのためであろう。ただし、そういう役に立つ・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・日本の人々の心に過去の幻のかげとしてのこっている天皇や宮さまというものの権威、しかもそれが、ふーんなるほど、ああいう人たちというのはそういうものなのかねえ、とつぶやかせるように、自分たちにとっての日常茶飯事において一種の型やぶり、おうような・・・ 宮本百合子 「ジャーナリズムの航路」
出典:青空文庫