・・・日本の自然主義作家が、一度は確立された自我に向って振う痛烈な自己の鞭打の精神力をもち得ず、低く日常茶飯事を観照し写実的作用を営むところに定着してしまったのは、理由ないことではなかった。 明治四十年から十年間に亙る旺盛な文学活動において、・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
・・・は古い小市民の有閑的な日常茶飯事を描いているものではありません。女主人公が社会矛盾にめざめて次第に共産主義者へまで成長してゆく過程を描いているものです。日本でまたいわゆる「赤」を恐怖させるために努力がされている今日、この仕事は無意味でしょう・・・ 宮本百合子 「文学について」
・・・一人の明めいせきはんだんのない狂いというものの持つ恐怖は、も早や日常茶飯事の平静ささえ伴なっている静かな夕暮だった。「ここへ来る人間は、みなあの部屋へ這入りたいのだろうが、今夜のあの灯の下には哀愁があるね。前にはソビエットが見ているし。・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫