・・・「菜物なんか作らずに草花でも植えりゃえい。」「臭いんは一日二日辛抱すりゃすぐ無くなってしまう。」「そりゃそうだろうけど、菜物なんかこの前に植えちゃお客にも見えるし、体裁が悪い。」「そうけえ。」じいさんは解しかねるようだった。・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・大な士族邸を借て住んだこと、裏庭には茶畠もあれば竹薮もあったこと、自分で鍬を取って野菜を作ったこと、西洋の草花もいろいろ植えて、鶏も飼う、猫も居る――丁度、八年の間、百姓のように自然な暮しをしたことを話した。 原は聞いて貰う積りで、市中・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・廊下には草花の床が女帯ほどの幅で長く続いている。二三種の花が咲いている。水仙の一と株に花床が尽きて、低い階段を拾うと、そこが六畳の中二階である。自分が記念に置いて往った摺絵が、そのままに仄暗く壁に懸っている。これが目につくと、久しぶりで自分・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・の相手、アンヨは上手、つつましきながらも家庭は常に春の如く、かなり広い庭は、ことごとく打ちたがやされて畑になってはいるが、この主人、ただの興覚めの実利主義者とかいうものとは事ちがい、畑のぐるりに四季の草花や樹の花を品よく咲かせ、庭の隅の鶏舎・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・両脚がしなやかに伸びて草花の茎のようで、皮膚が、ほどよく冷い。 ――どうかね。 ――誇張じゃないんです。私、あのひとに関しては、どうしても嘘をつけない。 ――あんまり、ひどくだましたからだ。 ――おどろいたな。けれども、全く・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・美しい草花、雑誌店、新刊の書、角を曲がると賑やかな寄席、待合、三味線の音、仇めいた女の声、あのころは楽しかった。恋した女が仲町にいて、よく遊びに行った。丸顔のかわいい娘で、今でも恋しい。この身は田舎の豪家の若旦那で、金には不自由を感じなかっ・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 刀根川の土手の上の草花の名をならべた一章、これを見ると、いかにも作者は植物通らしいが、これは『日記』に書いてあるままを引いたのである。 しかし、とにかく、一青年の志を描き出したことは、私にとって愉快であった。『生』で描いた母親の肖・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・二間あるかなしの庭に、植木といったら柘榴か何かの見すぼらしいのが一株塀の陰にあるばかりで、草花の鉢一つさえない。今頃なら霜解けを踏み荒した土に紙屑や布片などが浅猿しく散らばりへばりついている。晴れた日には庭一面におしめやシャツのような物を干・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・一粒の草花の種子が発芽してから満開するまでの変化を数分の間に完了させることもできる一方では、また、弾丸が銃口を出て行く瞬間にこれに随伴する煙の渦環や音波の影の推移をゆるゆると見物することもできる。眠っているように思っている植物が怪獣のごとく・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・しかし概して西洋種の草花の一般によろこび植えられるようになったのは、大正改元前後のころからではなかろうか。 わたくしが小学生のころには草花といえばまず桜草くらいに止って、殆どその他のものを知らなかった。荒川堤の南岸浮間ヶ原には野生の桜草・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫