・・・ 真綿をスイと繰ったほどに判然と見えるのに、薄紅の蝶、浅葱の蝶、青白い蝶、黄色な蝶、金糸銀糸や消え際の草葉螟蛉、金亀虫、蠅の、蒼蠅、赤蠅。 羽ばかり秋の蝉、蜩の身の経帷子、いろいろの虫の死骸ながら巣を引ひんむしって来たらしい。それ等・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・……何だかこの二三日、鬱込んでいらっしゃるから、貴方の氏神様もおんなじ、天神様へおまいりをなさいまし、私も一所にッて、とても不可ないと思って強請ったら、こうして連れて来てくれたんですもの。草葉の蔭でもどんなに喜んでいるか知れませんよ。早・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・民子のためには真に千僧の供養にまさるあなたの香花、どうぞ政夫さん、よオくお参りをして下さい……今日は民子も定めて草葉の蔭で嬉しかろう……なあ此人にせめて一度でも、目をねむらない民子に……まアせめて一度でも逢わせてやりたかった……」 三人・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「オヤ異なことを言うね、も一度言って御覧」と眼を釣上げて詰寄るだろう。「御気に触わったら御勘弁。一ツ差上げましょう」と杯を奉まつる。「草葉の蔭で父上が……」とそれからさわりで行くところだが、あの時はどうしてあの時分はあんなに野暮天だった・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・は覚束ないのですけれど、叔母の家が村の旧家で、その威光で無理に雇ってもらったという次第でございました、母の病気の時、母はくれぐれも女に気をつけろと、死ぬる間際まで女難を戒しめ、どうか早く立身してくれ、草葉の蔭から祈っているぞと言って死にまし・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。林の一角、直線に断たれてその間から広い野が見える、野良一面、糸遊上騰して永くは見つめていられない。 自分らは汗をふきながら・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・太十は朝まだ草葉の露のあるうちに灰を挂けて置いたりして培養に意を注いだ。やがて畑一杯に麦藁が敷かれた。蔓は其上を偃った。蔓の末端は斜に空を向いて快げである。繊巧な模様のような葉のところどころに黄色な花が小さく開く。淡緑色の小さな玉が幾つか麦・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・夕立や門脇殿の人だまり夕立や草葉をつかむむら雀 双林寺独吟千句夕立や筆も乾かず一千言 時鳥の句は芭蕉に多かれど、雄壮なるは時鳥声横ふや水の上 芭蕉の一句あるのみ。蕪村の句のうちには時鳥柩をつか・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・しかしこの若者は柔い草葉の風に靡くように、何事にも強く感動する。そんな時には常蒼い顔に紅が潮して来て、別人のように能弁になる。それが過ぎると反動が来て、沈鬱になって頭を低れ手を拱いて黙っている。 宇平がこの性質には、叔父も文吉も慣れてい・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫