・・・鳥さしは菅笠をかぶり、手甲脚絆がけで、草鞋をはき、腰に獲物を入れる籠を提げ、継竿になった長い黐竿を携え、路地といわず、人家の裏手といわず、どこへでも入り込んで物陰に身を潜め、雀の鳴声に似せた笛を吹きならし、雀を捕えて去るのである。 鳥さ・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・乗客の中には三人連の草鞋ばき菅笠の田舎ものまで交って、また一層の大混雑。後の降り口の方には乗客が息もつけないほどに押合い今にも撲り合いの喧嘩でも始めそうにいい罵っている。「込み合いますから、どうぞお二側に願います。」 釣革をば一ツ残・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・これでは試験も受けられぬというので試験の済まぬ内に余は帰国する事に定めた。菅笠や草鞋を買うて用意を整えて上野の汽車に乗り込んだ。軽井沢に一泊して善光寺に参詣してそれから伏見山まで来て一泊した。これは松本街道なのである。翌日猿が馬場という峠に・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・思いたえてふり向く途端、手にさわる一蓋の菅笠、おおこれよこれよとその笠手にささげてほこらに納め行脚の行末をまもり給えとしばし祈りて山を下るに兄弟急難とのみつぶやかれて 鶺鴒やこの笠たゝくことなかれ ここより足をかえしてけさ馬車に・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・働き着の面白さは、働きそのものを遊戯化しポーズ化した連想からの思いつきによってもたらされるものではなくて、やはり真率に働きの目的と必要とに応えて材料の質も吟味された上、菅笠で云えばその赤い紐というような風情で、考案されて行くべきなのだろうと・・・ 宮本百合子 「生活のなかにある美について」
・・・ところが、その一銭切手の模様は、農夫の働いている姿であった。菅笠をかぶり尻きりの働き着を着た男が鎌をもって田圃の中でかがんで稲を苅りいれている。わきに、同じように菅笠をかぶり股引ばきの女が、苅られた稲を束につかねている。茶色の地に白で、比較・・・ 宮本百合子 「郵便切手」
・・・この日野山ゆくおりに被らばやとおもいて菅笠買いぬ。都にてのように名の立たん憂はあらじ。 二十日になりぬ。ここに足を駐めんときょうおもい定めつ、爽旦かねてききしいわなという魚売に来たるを買う、五尾十五銭。鯉も麓なる里より持てきぬというを、・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・浅葱織色木綿の打裂羽織に裁附袴で、腰に銀拵えの大小を挿し、菅笠をかむり草鞋をはくという支度である。旅から帰ると、三十一になるお佐代さんがはじめて男子を生んだ。のちに「岡の小町」そっくりの美男になって、今文尚書二十九篇で天下を治めようと言った・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫