・・・けれども私は衝動がそのまま芸術の萌芽であるといったことはない。その衝動の醇化が実現された場合のみが芸術の萌芽となりうるのだ。しからば現在においてどうすればその衝動は醇化されうるであろうか。知識階級の人が長く養われたブルジョア文化教養をもって・・・ 有島武郎 「想片」
・・・私は最近数年間の自然主義の運動を、明治の日本人が四十年間の生活から編みだした最初の哲学の萌芽であると思う。そうしてそれがすべての方面に実行を伴っていたことを多とする。哲学の実行という以外に我々の生存には意義がない。詩がその時代の言語を採用し・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・この日初めて民子を女として思ったのが、僕に邪念の萌芽ありし何よりの証拠じゃ。 民子が体をくの字にかがめて、茄子をもぎつつあるその横顔を見て、今更のように民子の美しく可愛らしさに気がついた。これまでにも可愛らしいと思わぬことはなかったが、・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・が、糞泥汚物を押流す大汎濫は減水する時に必ず他日の養分になる泥沙を残留するようにこの馬鹿々々しい滑稽欧化の大洪水もまた新らしい文化を萌芽するの養分を残した。少なくも今日の文芸美術の勃興は欧洲文化を尊重する当時の気分に発途した。 井侯が陛・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・芸術家の貴い信念はこゝに萌芽します。彼等のすべてが人道主義者として、また殉教的な敬虔な心の持主として、人生のために戦うに至るのもこれあるがためです。 こゝに於て、芸術は畢竟享楽のためでなくして、一個の目的を有さなければならぬことを知るこ・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・ 事件は既に、その三年前から萌芽していた。仙之助氏と勝治の衝突である。仙之助氏は、小柄で、上品な紳士である。若い頃には、かなりの毒舌家だったらしいが、いまは、まるで無口である。家族の者とも、日常ほとんど話をしない。用事のある時だけ、低い・・・ 太宰治 「花火」
・・・それにかかわらず現在においてこの方面を開拓しようとする運動の萌芽すらわが国のどこにも認められないのは残念なことである。 抽象映画 スウェーデンの一画家がはじめた抽象映画は、幾何学的形象の運動の連鎖であって「動く装飾」・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・山脈や河流の交錯によって細かく区分された地形的単位ごとに小都市の萌芽が発達し、それが後日封建時代の割拠の基礎を作ったであろう。このような地形は漂泊的な民族的習性には適せず、むしろ民族を土着させる傾向をもつと思われる。そうして土着した住民は、・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・というものは、そういうものの無意識な萌芽のようなものであったかと思われる。しかしまだ芸術映画の理論などの問題にならない時代における最初の試みであったから、今から見るとそういう見地からは幼稚なものであったかもしれない。 自分のここで映画的・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ 風雅の精神の萌芽のようなものは記紀の歌にも本文の中にも至るところに発露しているように思われる。ただその時代にはそれがまだ寂滅の思想にしみない積極的な姿で現われている。しかるに万葉から古今を経るに従って、この精神には外来の宗教哲学の消極・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫