・・・自分の技倆に信用を置いて相談に乗ったのだと云う風で、落ち着いてゆっくり発射した。弾丸は女房の立っている側の白樺の幹をかすって力がなくなって地に落ちて、どこか草の間に隠れた。 その次に女房が打ったが、やはり中らなかった。 それから二人・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・また一つの窓からは、うすい桃色の光線がもれて、路に落ちて敷石の上を彩っていました。よい音色は、この家の中から聞こえてきたのであります。 さよ子は、家の中がにぎやかで、春のような気持ちがしましたから、どんなようすであろうと思って、その窓の・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・天井も張らぬ露きだしの屋根裏は真黒に燻ぶって、煤だか虫蔓だか、今にも落ちそうになって垂下っている。四方の壁は古新聞で貼って、それが煤けて茶色になった。日光の射すのは往来に向いた格子附の南窓だけで、外の窓はどれも雨戸が釘着けにしてある。畳はど・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ そうすると、やがて不意に、大きな梨の実が落ちて来ました。それはそれは今までに見た事もないような大きな梨の実でした。西瓜ぐらい大きな梨の実でした。 すると、爺さんはニコニコしながら、それを拾って、自分の直ぐ側に立っている見物の一人に・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・黄色い花びらが床の間にぽつりぽつりと落ちた。私はショパンの「雨だれ」などを聴くのだった。そして煙草を吸うと、冷え冷えとした空気が煙といっしょに、口のなかにはいって行った。それがなぜともなしに物悲しかった。・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・髪の毛は段々と脱落ち、地体が黒い膚の色は蒼褪めて黄味さえ帯び、顔の腫脹に皮が釣れて耳の後で罅裂れ、そこに蛆が蠢き、脚は水腫に脹上り、脚絆の合目からぶよぶよの肉が大きく食出し、全身むくみ上って宛然小牛のよう。今日一日太陽に晒されたら、これがま・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ ――無気力な彼の考え方としては、結局またこんな処へ落ちて来るということは寧ろ自然なことであらねばならなかった。(魔法使いの婆さんがあって、婆さんは方々からいろ/\な種類の悪魔を生捕って来ては、魔法で以て悪魔の通力を奪って了う。そして自・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ 喬はその話を聞いたとき、女自身に病的な嗜好があるのなればとにかくだがと思い、畢竟廓での生存競争が、醜いその女にそのような特殊なことをさせるのだと、考えは暗いそこへ落ちた。 その女はおしのように口をきかぬとS―は言った。もっとも話を・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・玉は乱れ落ちてにわかに繁き琴の手は、再び流れて清く滑らかなる声は次いで起れり。客はまたもそなたを見上げぬ。 廊下を通う婢を呼び止めて、唄の主は誰と聞けば、顔を見て異しく笑う。さては大方美しき人なるべし。何者と重ねて問えば、私は存じませぬ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 水野が堪え堪えし涙ここに至りて玉のごとく手紙の上に落ちたのを見て、聴く方でもじっと怺えていたのが、あだかも電気に打たれたかのように、一斉に飛び立ったが感極まってだれも一語を発し得ない。一種言うべからざるすさまじさがこの一区画に充ちた。・・・ 国木田独歩 「遺言」
出典:青空文庫