・・・ 相手が十三歳の子供だというので、ほめる方でも子供のように、落ち着きを失っていた。 庄之助が懐の金を心配しながら、寿子と二人で泊っていた本郷の薄汚い商人宿へは、新聞記者やレコード会社の者や、映画会社の使者や、楽壇のマネージャー達がつ・・・ 織田作之助 「道なき道」
・・・北方の燈台守の細君が、燈台に打ち当って死ぬ鴎の羽毛でもって、小さい白いチョッキを作り、貞淑な可愛い細君であったのに、そのチョッキを着物の下に着込んでから、急に落ち着きを失い、その性格に卑しい浮遊性を帯び、夫の同僚といまわしい関係を結び、つい・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・「相変らず先生は臆病だな。落着きというものが無い。あの身辺の者たちは、駅の前で解散になって、それから朝食という事になるのですよ。あ、ちょっとここで待っていて下さい。弁当をもらって来ますからね。先生のぶんも貰って来ます。待っていて下さい。・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・科学者の一代の大論文を読んで感心したあとで、その人のその論文を書くまでの道筋を逆にたどってそれまでのその人の著述を順々に古いほうへと読んで行くと、最初に感心させられたものが、きわめて平凡なあたりまえの落ち着き所であるとしか思えなくなって来る・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ いちばんおしまいの場面で、淪落のどん底に落ちた女が昔の友に救われてその下宿に落ち着き、そこで一皿の粥をむさぼり食った後に椅子に凭ってこんこんとして眠る、その顔が長い間の辛酸でこちこちに固まった顔である。それが忽然として別の顔に変わる。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そしてなんとなく不安で落ち着き得ないといったようなふうで、私のそばへ来るかと思うと縁側に出たり、また納戸の中に何物かを捜すようにさまよっては哀れな鳴き声を立てていた。 かつて経験のない私にも、このいつにない三毛の挙動の意味は明らかに直感・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・永久性と落着きのないのは、この辺の天然の反対である。浅虫温泉は車窓から見ただけで卒業することにした。 夕方連絡船に乗る。三千四百トン余のタービン船で、なかなか綺麗で堂々としている。青森市の家屋とは著しい対照である。左舷に五秒ごとに閃光を・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・でもその他でもなんだか騒がしくて落ち着きがなくて愉快でない。ロート張りの裸体の群れでも気のきいたところも鋭さもなくただ雑然として物足りない。もう少し落ち着いてほしい。 正宗得三郎。 この人の絵も私にはいつもなんとなく騒がしくわずらわしい・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・私はしばらく大阪の町の煤煙を浴びつつ、落ち着きのない日を送っていたが、京都を初めとして附近の名勝で、かねがね行ってみたいと思っていた場所を三四箇所見舞って、どこでも期待したほどの興趣の得られなかったのに、気持を悪くしていた。古い都の京では、・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・わたくしはただいまから頼んでおいて Rue Romaine 十八番地に落ち着きますことにいたしましょう。 わたくしはこんなに手短に乾燥無味に書きます。これは少し気分が悪いからでございます。電信をお発し下すったなら、明後日午後二時から六時・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
出典:青空文庫