一 神田のある会社へと、それから日比谷の方の新聞社へ知人を訪ねて、明日の晩の笹川の長編小説出版記念会の会費を借りることを頼んだが、いずれも成功しなかった。私は少し落胆してとにかく笹川のところへ行って様子を聞いてみようと思って、郊・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・という細君の言葉は差当って理の当然なので、主人は落胆したという調子で、「アア諦めるよりほか仕方が無いかナア。アアアア、物の命数には限りがあるものだナア。」と悵然として嘆じた。 細君はいつにない主人が余りの未練さをやや訝りなが・・・ 幸田露伴 「太郎坊」
・・・余ここにおいていよいよ落胆せり。されどそのままあるべきにもあらず、日も高ければいそぎて行くに、二時ばかりにして一の戸駅と云える標杭にあいぬ。またまたあやしむこと限りなし。ふたたび貝石うる家の前に出で、価を問うにいと高ければ、いまいましさのあ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・まだ二十位の青年の時代に或る時は東洋の救世主を以て任ずるような空想な日を送って、後になって、余り自分の空想が甚だしかった事と、その後に起る失望、落胆の激しい事に驚いた、と書いたものなぞもある。或る時は又一個の大哲学家となって、欧洲の学者を凹・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・そのむすめは真夏のころ帰って来るあの船乗りの花よめとなるはずでしたが、その船乗りが秋にならなければ帰れないという手紙をよこしたので、落胆してしまったのでした。木の葉が落ちつくして、こがらしのふき始める秋まで待つ事はたえ切れなかったのです。・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ 酒の酔いと、それから落胆のために、足もとがあぶなっかしく見えた。見世物の大将を送って部屋から出られて、たちまち、ガラガラドシンの大音響、見事に階段を踏みはずしたのである。腰部にかなりの打撲傷を作った。私はその翌る日、信州の温泉地に向っ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・太郎は落胆した。仙術の本が古すぎたのであった。天平のころの本であったのである。このような有様では詮ないことじゃ。やり直そう。ふたたび法のよりをもどそうとしたのだが駄目であった。おのれひとりの慾望から好き勝手な法を行った場合には、よかれあしか・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・太十は落胆した。迷惑したのは家族のものであった。太十は独でぶつぶついって当り散した。村の者の目にも悄然たる彼の姿は映った。悪戯好のものは太十の意を迎えるようにして共に悲んだ容子を見てやった。太十は泣き相になる。それでもお石の噂をされることが・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟るかも知れない、 忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーし・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・おのおの長ずるところを殊にすれども、戦国割拠の時に当りて徳川の旗下に属し、能く自他の分を明にして二念あることなく、理にも非にもただ徳川家の主公あるを知て他を見ず、いかなる非運に際して辛苦を嘗るもかつて落胆することなく、家のため主公のためとあ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
出典:青空文庫