・・・日本の徳川末期、町人階級はそれを川柳・落首その他だじゃれに表現した。政治的に諷刺を具体化する境遇におかれていない鬱屈をそのようにあらわした。十八世紀のイギリスで、当時の上・中流社会人のしかつめらしい紳士淑女気質への嘲笑、旧き権威とその偽善へ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ 落首というものは、古来、愛すべき民衆の集団的発言の形式であったし、零細な、鋭い可能性把握の一例であった。先達っての選挙のとき、無効になった投票に多くの落首めいたものがあったという噂も、文学の問題としてやはり見落せない事実なのではなかろ・・・ 宮本百合子 「ペンクラブのパリ大会」
・・・彌次というものを、庶民的な短評の形、川柳、落首以前のものとして考えれば、その手裏剣めいた効果、意味、悉く否定してしまうことは出来ないけれども、その形そのものが、徳川時代のものであって、彌次馬ほどこわいものはなし、に通じる要素をも持っているこ・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
・・・と云う落首があった。浜町も蠣殻町も風下で、火の手は三つに分かれて焼けて来るのを見て、神戸の内は人出も多いからと云って、九郎右衛門は蠣殻町へ飛んで帰った。 山本の内では九郎右衛門が指図をして、荷物は残らず出させたが、申の下刻には中邸一面が・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫