・・・ その上不思議な事にこの画家は、蓊鬱たる草木を描きながら、一刷毛も緑の色を使っていない。蘆や白楊や無花果を彩るものは、どこを見ても濁った黄色である。まるで濡れた壁土のような、重苦しい黄色である。この画家には草木の色が実際そう見えたのであ・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・劫初以来人の足跡つかぬ白雲落日の山、千古斧入らぬ蓊鬱の大森林、広漠としてロシアの田園を偲ばしむる大原野、魚族群って白く泡立つ無限の海、ああこの大陸的な未開の天地は、いかに雄心勃々たる天下の自由児を動かしたであろう。彼らは皆その住み慣れた祖先・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ただ周囲に蓊鬱として、樹が茂って暗い。 森をくぐって、青い姿見が蘆間に映った時である。 汀の、斜向うへ――巨な赤い蛇が顕われた。蘆萱を引伏せて、鎌首を挙げたのは、真赤なヘルメット帽である。 小県が追縋る隙もなかった。 衝と行・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・眼に見えるようなは其而已でなく、其時ふッと気が付くと、森の殆ど出端の蓊鬱と生茂った山査子の中に、居るわい、敵が。大きな食肥た奴であった。俺は痩の虚弱ではあるけれど、やッと云って躍蒐る、バチッという音がして、何か斯う大きなもの、トサ其時は思わ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫