・・・京都は冬は底冷えし、夏は堪えられぬくらい暑くおまけに人間が薄情で、けちで、歯がゆいくらい引っ込み思案で、陰険で、頑固で結局景色と言葉の美しさだけと言った人があるくらい京都の、ことに女の言葉は音楽的でうっとりさせられてしまう。しかし、私は京都・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわけにもいかず、折柄、「――古座谷はん、済まへんけど、しし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・体お前の父親は……と訊かれると、父親は博奕打ちでとか、欺されて田畑をとられたためだとか、哀れっぽく持ちかけるなど、まさか土地柄、気性柄蝶子には出来なかったが、といって、私を芸者にしてくれんようなそんな薄情な親テあるもんかと泣きこんで、あわや・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・吉田はいくら一日の看護に疲れても寝るときが来ればいつでもすやすやと寝ていく母親がいかにも楽しそうにもまた薄情にも見え、しかし結局これが己の今やらなければならないことなんだと思い諦めてまたその努力を続けてゆくほかなかった。 そんなある晩の・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・ かれは思った、他郷に出て失敗したのはあながちかれの罪ばかりでない、実にまた他郷の人の薄情きにもよるのである、さればもしこのような親切な故郷の人々の間にいて、事を企てなば、必ず多少の成功はあるべく、以前のような形なしの失敗はあるまいと。・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ゆっくり読んでみて下さい。薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓を破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・間違いをした事がないという自信を持っている奴に限って薄情だという事さ。罪多き者は、その愛深し。 詭弁ですわ。それでは、人間は、努めてたくさんの悪い事をしたほうがいいのですか? そこだ! 問題は。何が、そこだ! だ。僕はいま罪人なんだ・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・できぬとならば、「薄情。」受けよ、これこそは君の冠。 人、おのおの天職あり。十坪の庭にトマトを植え、ちくわを食いて、洗濯に専念するも、これ天職、われとわがはらわたを破り、わが袖、炎々の焔あげつつあるも、われは嵐にさからって、王者、肩そび・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・それがまあ多少のゆかりをたよって田舎へ逃げて来て、何も悪い事をして逃げて来たわけでもないのに肩身を狭くして、何事も忍び、少しずつでも再出発の準備をしようと思っているのに、田舎の人たちは薄情なものです。私たちだって、ただでものを食べさせていた・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・もとより郷里の事情も知らぬではないがあまりに薄情だと思って一時はひどく憤慨し人非人のように罵ってもみた。時にはこれも畢竟妹夫婦があんまり意気地がないから親類までが馬鹿にするのだと独りで怒ってみて、どうでもなるがいいなどと棄鉢な事を考える事も・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
出典:青空文庫