・・・ 九段の坂下の近角常観の説教所は本とは藤本というこの辺での落語席であった。或る晩、誰だかの落語を聴きに行くと、背後で割れるような笑い声がした。ドコの百姓が下らぬ低級の落語に見っともない大声を出して笑うのかと、顧盻って見ると諸方の演説会で・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・けれど、また機会というものがある。藤本先生は、私に、機会を与えてくださったのだ。先生のお言葉に従って、ゆくことにしよう。」と、思ったのでした。 晩方から、変わりそうに見えた空は、夜中から、ついに、はげしいしぐれとなりました。彼は、朝早く・・・ 小川未明 「空晴れて」
・・・五十三歳である。藤本猪左衛門が介錯した。大塚は百五十石取りの横目役である。四月二十六日に切腹した。介錯は池田八左衛門であった。内藤がことは前に言った。太田は祖父伝左衛門が加藤清正に仕えていた。忠広が封を除かれたとき、伝左衛門とその子の源左衛・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫