・・・ 柿右衛門の非礼は、ゆるさるべきであろう。藤村の口真似をするならば、「芸術の道は、しかく難い。若き人よ。これを畏れて畏れすぎることはない。」 立派ということに就いて もう、小説以外の文章は、なんにも書くまいと覚悟・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・ 次は藤村の言葉である。「芭蕉は五十一で死んだ。これには私は驚かされた。老人だ、老人だ、と少年時代から思い込んで居た芭蕉に対する自分の考えかたを変えなければ成らなくなって来た。『四十ぐらいの時に、芭蕉はもう翁という気分で居たんだね。』と・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 星野滞在中に一日小諸城趾を見物に行った。城の大手門を見込んでちょっとした坂を下って行くのであるが、こうした地形に拠った城は存外珍しいのではないかと思う。 藤村庵というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤村文・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・「ほんとに……あの、藤村さんの御宅で校友会のあったあの時お目にかかったきりでしたねえ。」 電車がやっと動き始めた。「よし子さん、おかけ遊ばせよ、かかりますよ。」と下なる丸髷は、かなりに窮屈らしく詰まっている腰掛をグット左の方へ押・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・いくら藤村の羊羹でもおまるの中に入れてあると、少し答えます。そのおまるたると否とを問わず、むしゃむしゃ食うものに至っては非常稀有の羊羹好きでなければなりません。あれも学才があって教師には至極だが、どうも放蕩をしてと云う事になるととうてい及第・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ 一方では、前年ヴェノスアイレスの国際ペンクラブ大会に日本代表として出席した島崎藤村が、大会の反ファッシズムに高まった雰囲気から、彼独特の用心ぶかさで日本の立場を守ってかえって来て、日本ペンクラブの創立に着手しはじめている時であった。ま・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・ブェノスアイレスの第十四回国際ペンクラブ大会へ出席した島崎藤村が、この大会の世界ファシズムに反対する決議や世界平和と文化を守る決議に当惑して、日本の文学者として何一つ責任ある発言をさけてかえってきたことは、当時の日本の状態をあからさまに語っ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ 秋声・藤村 藤村と秋声とが相ついで長逝した。二人の作家の業績は、明治、大正、昭和に亙って消えない意義をもっている。そのことをつよく感じる人々は、同時に、この二人の作家が全く対蹠的に一生を送ったことについても、・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・日本には島崎藤村という現存の老大家を主人公とした伝記小説さえ出現している。一方、文学は質において果して今日豊饒であろうか。インフレ文学という苦笑が漲って、量が質とは相反するものとして観察されているのは如何なる理由からであろうか。 あらゆ・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・同じ十月の『文芸』に中村光夫氏が短い藤村研究「藤村氏の文学」を書いていて、中に「氏は自己の精神の最も大切な部分を他人の眼から隠すことを学んだのであろう」「おそらく氏は我国の自然主義者中最も自己の制作を一箇の技術として自覚し、この明瞭な自覚の・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
出典:青空文庫