・・・あの男の愛に虚偽はあっても、妻のそれは純粋なのに違いない。――こう信じていた僕は、同時にまた妻自身の幸福のためにも、彼等の関係に交渉する必要があると信じていたのだ。が、彼等は――少くとも妻は、僕のこう云う素振りに感づくと、僕が今まで彼等の関・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ 社交 あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。もし寸毫の虚偽をも加えず、我我の友人知己に対する我我の本心を吐露するとすれば、古えの管鮑の交りと雖も破綻を生ぜずにはいなかったであろう。管鮑の交りは少時問わず、・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・第四階級のために弁解し、立論し、運動する、そんなばかげきった虚偽もできない。今後私の生活がいかように変わろうとも、私は結局在来の支配階級者の所産であるに相違ないことは、黒人種がいくら石鹸で洗い立てられても、黒人種たるを失わないのと同様である・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・詭弁である、虚偽である、夢想である。世を済う術数である。 人を救う道ではない。 中庸の徳が説かれる所には、その背後に必ず一つの低級な目的が隠されている。それは群集の平和ということである。二つの道をいかにすべきかを究めあぐんだ時、人は・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・を説くために、我々に向って一の虚偽を強要していることである。相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲を我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造していることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵たるオオソリテ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・という事は虚偽である。我々は、そういう人も何時かはその二重の生活を統一し、徹底しようとする要求に出会うものと信じて、何処までも将来の日本人の生活についての信念を力強く把持して行くべきであると思う。・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・根底より虚偽な人生、上面ばかりな人世、終焉常暗な人生…… 予はもの狂わしきまでにこんなことを考えつつ家に帰りついた。犬は戯れて躍ってる、鶏は雌雄あい呼んで餌をあさってる。朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉の緑も物・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ おとよさんが隣に嫁入ったについては例の媒妁の虚偽に誤られた。おとよさんの里は中農以上の家であるに隣はほとんど小作人同様である。それに清六があまり怜悧でなく丹精でもない。おとよさんも来て間もなくすべての様子を知っていったん里へかえったの・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ 私は如何なる場合にも中途半端の虚偽を憎む。現代の多くの人々はこの中途半端に居る。しかも、人が苦しみを経験し、若しくは苦痛を経験し、若しくは生活上の奮闘を余儀なくされている場合、社会の同情、博愛、慈善事業、宗教家等に依って救うということ・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・常に、自分を鞭打って止まざる至高の感激が、何よりも美であり、この美に対する殉情的精神は虚名と虚偽を忘れしめるからです。 いま、私達と同じように、芸術を見んとする輩が、出でんとしつゝあります。私が、曾て、ロシア人の話を聞いて、感奮した如く・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
出典:青空文庫